教誨

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121 柚月裕子 小学館

持っていった本を読みつくしてしまったので、これは電子本である。小さなスマホの画面で苦労しながら読んだ。「慈雨」以来の柚月裕子だ。

遠縁の死刑囚、三原響子の身柄引受人にされた主人公の香純は死刑執行後に拘置所に遺骨を遺品を受け取りに行く。故郷の本家も菩提寺も遺骨の墓への受け入れを拒否した。ちょうど仕事をやめたばかりの香純は、どうにか墓に収めてもらえないかと青森県相野町にある菩提寺を訪ねることにする。

三歳のわが子を川に落とし、わが子の保育園仲間も殺した女性。実際にあった同じような事件を覚えている。なんでそんなことに…と驚いたものだった。彼女は我が子がいなくなったと警察に届け、川で遺骸が発見されたときは泣き崩れた。もう一人の小さな命が失われた時は、幼児連続殺人事件だと世間が震撼した。まさか、最初に被害者の母親が犯人だったとは。

香純は青森の地元の新聞記者と知り合い、彼とともに事件の背景、三原響子の人となりを探っていく。その新聞記者は、小学生のころ、いじめられているところを響子に助けられたことがあった。

父親や本家筋からの虐待、その言いなりになって子を守ることも助けることもできない母親。死刑執行直前に「約束は守ったよ、褒めて」と響子は言った。それは、誰に対しての、どんな約束だったのか。

自分勝手で暴力的に家族を支配する父親とその顔色を見るばかりの母親なら私も知っている。なんだか他人事とは思えない話である。こういう背景が人の心を痛めつけていくことはよくわかる。だとしても、じゃあ、どうしたらいいのだろう、といつも思う。この小説を書くにあたっての資料が最後に掲載されていたが、多くは死刑囚永山則夫にまつわる書籍であった。永山則夫の人生もまた、驚くほど過酷なものであった。だからといって犯罪を犯していいわけがない。ないのだが、では、どうすれば。どうやって彼らの人生を良いものに変えることができたのか、誰がそれをできたのか。

辛い思いをする子供が少しでも減りますように、いなくなりますようにといつも願う。みんなが幸せになることが、結局は世の中を良いものにし、社会をより良いものにするのだ。そんなこと当たり前なんだけど、そんな当たり前がなんと難しいことか。