127 名倉有里 講談社
「夕暮れに夜明けの歌を」があまりに素晴らしかったので、この作者のものを他にも読みたい!と探して手に入れた本。今年七月に出されたエッセイ集である。
所沢や横浜で育った作者の子ども時代の思い出や、前作にもあったロシア留学時代の思い出、そしてまさに今進行中のウクライナの戦争の話。
SNSやメールでのやり取りは検閲の危険が伴うが、とあるゲームのチャット上でのロシア語のやり取りは極めて匿名性が高い。ゲームのために集まった人たちとの、そこでおこなわれるやり取りは、最初は遠慮がちだった。が、カザフスタンの人がたまりかねたように「みんなをここへ招待して抱きついて、魚釣りに連れて行きたいのに、戦争はいつ終わるんだ」と嘆く。それがきっかけでみんなで、この異常な事態が早く終わってほしいと話し合う。今はメロンが美味しいからタシケントに来てほしいとか、東京は34℃だそうだけど、ノヴォシビルスクは20℃だから、飛行機に飛び乗ってきたらいい、などと叶うはずもない招待合戦が繰り広げられる。ドンバスからは花壇の写真が届き、一度はミサイルの破片も写る。「こんなものじゃもう誰も驚かなくなったね」という言葉と共に。ウズベキスタンの人は蝶を育てるといって青虫を育てる。クラスノダールの看護婦は夜勤の合間に医薬品の棚の写真をアップする。
地球上に爆弾を落としていい場所など存在しない。それを確認しあうかのように、私たちは花や作物の写真を送り続ける。
いつか爆弾が降らなくなったら、私たちはこの巣穴から出よう。カザフスタンで集合して、一緒に魚釣りをしにいこう。
作者は、子ども時代に夢のように楽しく過ごした、おばあちゃんの家のある新潟に家を買いに行く。90年を超えた古民家を、家屋土地込みで130万円。原発のある柏崎。今は停止しているが。再稼働がもくろまれているその土地で、原発を人類の当事者として考えたい、と思ったのだ。そして、今はそこで原稿を書いている。‥‥‥‥と言う最後のエッセイには驚いてしまう。行動する人なのだなあ、と感心する。
この本のタイトルについて。文化とは人と人とが分かり合うために紡ぎ出された様式のことである。戦争はこの文化を一瞬にして崩壊させる。のみならず、その文化が凶悪にパロディ化され、戦争の宣伝に使われるようにすらなる。そんなときに文化の担い手ができることはただ、脱走兵となり、武器を捨て、文化本来の役割を大切に抱えたまま、どこまでも逃げることだけだ、と作者は言う。
世界の各地で戦争が続き武器が作られ輸出され、巨大な暴力は巨大な産業と結びついています。(中略)その凶悪さと巨大さ、そしてその社会で生きる自分もまたどこかでその構造に関与してしまっている現実を考えると、自分になにができるのかがわからなくなることや、絶望してしまいたくなることもあるかもしれません。それでもやはり、気づくことは気づかないことよりずっといいし、非戦のために自分ができることを考えるのは、それだけでもすでに意味のある、尊いことです。
どうかあきらめずに、なによりも大切な自分の内面世界を守りながら、一緒に逃げ続けてください。絶望してしまわないためには物語が必要です。脱走兵の賛歌と、あたたかい思い出と、世界中の子供たちの分のクルミを抱えて逃げる決意をしてしまえば、どこかで同じように非戦を希求する仲間に必ず出会えます。
ロシアとウクライナの戦争は泥沼化し、アメリカではトランプが勝ってしまった今、この言葉は胸にしみる。どうか私たちは、非戦を願い続けよう。原発や戦争や、武器の輸出に否を唱え続けよう。そう改めて思う私である。
ちなみに、奈倉有里さんの弟は逢坂冬馬さんだったのね!「弟との対談本」という一節を見て調べてみて、はじめてわかったのだった。すごい兄弟だわ!!
(引用はすべて「文化の脱走兵」名倉有里 より)