方舟を燃やす

方舟を燃やす

76 角田光代 新潮社

本当は「家族だから愛したんじゃなくて」より先に読み始めたのだけれど、あまりに重すぎて、何度も休憩を入れている間に「家族だから」を先に読み終えてしまった。そもそも夫が先に読み始めて「重いんで休む」と言っていたのだけど、その気持ち、わかるわ。でも、私は読み終えたからね。えっへん。って威張るようなことではないんだが。

1960年代に生まれた柳原飛馬と望月不三子。この二人を、幼い頃から現代まで、交互に描き出す。少年時代、がんで入院していた母を自殺で失った飛馬。本当は治るかもしれなかったのに、絶望して死んでしまった母。そうさせたのは、自分かもしれないと罪の意識を持っている。母親にあまり愛されなかった不三子。妊娠中からマクロビオティックを教える年配の女性に出会い、食べ物から人は免疫をつけていくと信じ、子どもたちに旬の良いもの、玄米菜食を食べさせ、ワクチンを受けさせないで丁寧に育てていく。だが、それは思わぬ出来事を引き起こし、子どもたちも離れていく。そんな飛馬と不三子は、子ども食堂の運営で出会う。

なんとも重苦しいのは、生きてきた時代が自分自身と重なることもある。ノストラダムスの大予言を超え、2000年問題を超え、それでもなお先の見えない時代が続く。バブルがはじけ、つぶれるはずのない大企業がいくつも倒産し、地下鉄サリン事件が起きたり、災害が起きたり。そしてコロナ禍があり、陰謀論がはびこり、ワクチンの可否が問われ・・・。そんな中で、私たちは、いったい何を、どうやって見定めていくのか。何が正しくて、何が間違っているのかを、どう見つけていくのか。そんな問いが常に突き付けられていく。

子どもを育てるのは、それまで自分が生きてきた世界とまた違った経験だった。何が正解かを誰も教えてくれないし、たとえ何かを選んでも、それが本当に良かったのか、あとになってもわからない。仕事をするしない、評価を受ける受けない、手をかける手を抜く。誰も認めてもくれず、褒めてもくれず、分かってもくれない時代が長く続いた。子どもを育てるのは楽しくありがたく、後悔したことは微塵もない。が、苦しかったこともまた、間違いはない。もちろん、それ以上に良いこと、うれしいことがあったからこそ今があるのは間違いないが、だからといって、もう一度あの日々に戻りたいとは思わない。若かったから、必死だったから、やってこれたのだとつくづく思う。この本を読んで、そんな日々をまざまざと思い出してしまった。だから、重かったのだ。休みたくもなったのだ。

そして、今。自分の選択が正しかったのかどうか、いまだにわからないが、それでも私たちは生きているし、今を楽しんでもいる。そのことを受け止めて、抱きしめて生きていくしかない。

朝ドラの「虎と翼」を毎日見ては、とりわけ最近、心に突き刺さるように色々なことを思い出す。それと同じ現象が、この本にもあった。生きていくことは大変だ。いろんなことを選ばねばならないし、何かを選ぶと失うこともたくさんある。だとしても、私たちは何とか生きていく。明日が今日よりもっと良くなってほしいと願いながら。時に絶望しながらも。