26沢木耕太郎 岩波書店
柳田邦夫、篠田一士、猪瀬直樹、辻井喬、村山由佳、瀬戸内寂聴、角幡唯介、後藤正治、梯久美子。そうそうたるノンフィクションの書き手との対談。すでにお亡くなりになった方もいて、かなり古い対談も収録されている。ノンフィクションとは何か、どのように書くのか、というかなり突っ込んだテーマであるので、対談相手の著作を読んだことがないと何を言っているのかわからないところもあるし、であるからこそ、その作品を読んでみたくもなる。
だから興味深い内容ではあるのだが、そのところどころに沢木耕太郎のわりにマッチョな部分が出てしまっていて、おや?とか、あれ?とか思ってしまう。そんな些末にこだわるのかよ、と突っ込まれそうだが。
例えば、沢木は自分の蔵書は仕事場にすべて置いてあるので、家で退屈した時などは妻の本を読むという。そのようにして読んだ石井好子の「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」をほめているのだが、その褒め方が。
実にうまいの。男性的でシャープでね。無駄がなくてね。
そうですか、うまくてシャープで無駄がないのは、男性的なんですか。と思っちゃう。それから、瀬戸内寂聴との対談で、寂聴は大杉栄を刺した神近市子と実際に会って話をしているのだけれど、刺された大杉栄がどうしたか、という話題になって。大杉は逃げようとする彼女を取り押さえようとした、と言っているのだけれど、神近は、大杉は「ウワー」と大声をあげて泣いた言っている。どちらが正しいか、という話になる。それは神近が正しい、と寂聴は言うが、沢木は
僕はそういう局面で、男は泣かないと思うんだけど。
と、自分の経験に照らして(!)言う。あら、そんなことがあったの?という寂聴の突込みに対しては「包丁で刺されはしませんでしたけれど(笑)」と軽くいなしている。なんで、そういう局面で男は泣かない、なんて言えるんだ、と私は不思議である。いろんな男がいるだろう、ましてや大杉栄、結構いい加減なゲス男だったじゃないか、そこでウワーっとなるの、ありそうな話じゃないか。「男は」と一般化して話す理由は何よ、と引っかからずにはいられない。
さらに。彼は、自分の子供が生まれた時、数日後には外国へ行って三か月くらい帰らなかった話を猪瀬直樹にしている。その話を疋田佳一郎という朝日のジャーナリストに話したら「かわいそうですねえ」と言われたという。子や妻が、ではない。「あなたは子供さんの一番いいところを見なかったんですね。」と。これは鋭い指摘だと思う。さすがの沢木もドキッとしたという。
・・という具合に、おそらくこの本の本質とは全く違うところに、私は反応してしまったのだと思う。もちろん、ノンフィクションに対する彼の誠実な対し方などには感じ入るところはあったのだが。それよりも、瀬戸内寂聴ってすげー奴だよなあ、とか、沢木耕太郎、わりにマッチョだよな、とか思ってしまった私である。ま、読書って個人的な営みですものね。
(引用はすべて「星をつなくために」沢木耕太郎 より)