136 沢木耕太郎 朝日新聞出版
「夢ノ町本通り」以来の沢木耕太郎である。前にも何度か書いたことがあるが、私は沢木耕太郎に、育児のしんどい時期を救われた経験がある。行く場所もなく、小さな子どもと向き合うばかりの息詰まる日々、近所の市役所出張所の二階にある小さな図書コーナーで、彼の著作「深夜特急」に出会った。若者が一人で路線バスだけを使って日本からヨーロッパまで旅をする。後に「進め電波少年」のヒッチハイクの旅の元にもなった本である。何冊も続くその本に、どれだけ私は助けられたことか。動けない日々、本さえ開けば、私はユーラシア大陸を旅し、知らない人とつたない言葉を交わし、新しい風景を見ることができた。家にいながらに、私は彼と長い旅を味わったのだ。
というわけで、私は沢木耕太郎を信じている。彼の書くノンフィクションはどれも力強い。知らない場所で、知らない事実を教えてくれる。が、そんな彼もやっぱり歳を取る。足を使い、様々な場所を飛び回り、たくさんの人に取材する執筆スタイルはいつまでもできるものではない。そのせいもあるのだろうか、最近は小説を書き始めた。この本も小説である。しかも、時代物だ。江戸時代、田沼意次が台頭する直前の物語。だが、たとえ小説であっても、大量の資料を読み込み、史実を確認し、調べ上げたうえで書かれている。足を使う代わりに、本の森を踏み分け、資料を取材しまくった形跡が明らかだ。相変わらず執筆スタイルは変わらない。
宝暦八年、1758年12月に、その芸によって市中引き回しの上獄門という刑を受けた講釈師、馬場文耕がこの物語の主人公である。元は武士であった彼は、武芸の師匠に修行のため農作業を二年間、勤めさせられ、それが一つのきっかけとなって士分を捨て、講釈師への道を進む。彼はいわば江戸時代のルポルタージュテラーとなったのだ。ノンフィクションの優れた書き手である沢木耕太郎が選ぶにはもってこいの人物だ。
それにしても、小説においても、ノンフィクションと同じ、沢木節ともいうべき文体が保たれているのが興味深い。ストイックで、己の筋を通すことに頑固で、女性と距離を取り、極めて抑制的な人間として馬場文耕は描かれる。これはもう、沢木耕太郎の美学そのものだ。物語の展開は明快で、読みやすく、途中で飽きることもない。優れたリーダビリティはノンフィクションと少しも変わらない。むしろ読み終えるのがもったいなくてゆっくり読みたくなったほどだった。
敢えて言うのなら、最後は、そこまで書かなくても…と思うような部分もあった。あったが、そうしたかったのだろうなあ、と思った。
