148 小田嶋隆 イースト・プレス
小田嶋隆が亡くなって半年。世の中は変わらず動いているし、思いもよらないような方向に(おそらく悪い方向に)展開していっている。小田嶋隆が生きていたら、なんと言ったかなあと思うようなことがいくつもあった。(そういえば、ナンシー関が亡くなった後も、しばらくそんなことを考えたものだ。)
「東京四次元紀行」は小説である。彼が小説を書いているとは知らなんだ。あとがきでこう書かれている。
それまで何十年かの間、私は小説について「特別な才能に恵まれた特別な天才(例えばドストエフスキーや三島由紀夫みたいな)が書き上げるジャンルの文芸作品だと考えていた。
ところが、自分で書いてみると、小説は、読むことよりも書くことの方が断然楽しいジャンルの文章だと思うようになった。(中略)(もっと早い時期に書いていればよかったなあ)。
(引用は「東京四次元紀行」小田嶋隆 より)
このあとがきが書かれたのは今年の五月。亡くなる直前のことだ。もっと早い時期に…という言葉が胸に迫る。けれど、間に合ってよかったね、と思うことにしよう。
東京二十三区のいろいろな場所を舞台にした短編とそれ以外の短編が九編。どれもほろ苦く、なんだかうまくいかないけれど、とりあえず生きているありふれた人間の物語だ。酒に飲まれたエピソードや、死にまつわる‥‥でも、本当に死んだのかどうかを明らかにしないでおこう、という姿勢のある作品が多い。それは、そのまま小田島隆の人生につながる。彼は、いつの間にか見かけなくなったけれど、死んだとは思わないでおこう、またいつか会えるさ、と人に思われていたかったのかもしれない。
小田嶋隆は、私よりは年上だが、同じ学校に通い、似たような地域て過ごしてきた人なので、登場する場所や人たちが、ひどく身近に思えて懐かしい気分に浸れた。彼はまだ、東京のどこかでひっそりと誰にも見つからずに生きているのかもしれないね。そう思っていよう。