64 梨木香歩 毎日新聞出版
「物語のものがたり」以来の梨木香歩である。この人の書くものを読むたびに心の深いところにしんと染み入るものを感じる。木々や鳥たちや自然の毅然とした美しさ、その中で生きる人間のうまくいかないところ、醜いところ、美しいところ。様々なものを深く深くとらえる思考。
この本は、毎日新聞や「サンデー毎日」の連載を収録したもの。2020年6月から2023年3月までなので、当然コロナ禍のさなかの様子も描かれる。梨木さんご自身、何らかの持病の治療を行っているらしく、それもなかなか深刻なものであることも推察される。その一方で鹿児島に滞在してお母さまの介護もなさっている。とても大変だと書きながら、分かり合えない母娘だったけれど、こういう時間が持てたことは良かったとさらりと書かれてもいる。
私も、梨木さんほど深刻ではないが、持病を持ちながら母の介護に毎月実家に通っていた。分かり合えない‥というより、かつては本音で話さない母娘であったが、最後にかなり言いたいことを言う時間が持てたことを感謝したい。ではあるが、介護に通った最後の数年間はやはりとても大変だった。実家から戻るとしばらく疲労が抜けず、ふつうの生活に戻るのに苦労した。ましてや私なんぞよりもっと深刻らしき持病を抱える梨木さんのお疲れがどれほどのものか想像するだにお労しい。が、そういったことがあればこそ、自分の病をひとまず脇に置くということも或いはできているのかもしれず、少なくともそれを嘆き悩むようなことは一切書かれていない。頭が下がる。
はっとし、そして深くうなだれ考え込むような章があった。
そもそも付き合うに苦手だった人はいうに及ばず、好感をもっていた人とさえ、学校を卒業したり職場が離れたりするといつしか疎遠になってしまうものだけれど、自分自身とはそういうわけにはいかない。自分が大好き、という人はいいのだが、世の中には自分のことをあまり好きになれないひともいるだろう。いやむしろ、大嫌い、というひとさえある。他人なら遠ざかって行けるものを、逃げようもなくじっくり付き合い、人間というものを学ぶように天から配剤された課題ーそれが自分なのだ。(中略)
自分というものを作っている骨格は、気が遠くなるほど昔から受け継がれてきている遺伝子で、「大嫌い」であっても簡単には変わらない。ではそれを生かす方向を見いだせないものか。自分では欠点としか見えないようなものでも、廃材として見捨てるのではなく、一つ一つ丹念に磨き上げて、他の天体からきた魂の視点で、その肉体に仮の宿りをしている「自分」を見、愛しみ生かしてあげる道、再生できる場所を探してあげる。生きている主体である自分の奥に、あるいは背後に、もう一つの主体を意識しながら。超自我とか、そういうんじゃなく、もっと手元に。
思えば同じようなことを繰り返し繰り返し、ずっと考えてきている。書いてもきている。でもそのたび少しずつ根も広がり、枝葉も増え、堅固になる。気もしている。(引用は「歌わないキビタキ」より)
「他の天体からきた魂の視点で、その肉体に仮の宿りをしている「自分」を見、愛しみ生かしてあげる道」。そうだよ、それを私も探しているのか、と不意に思って胸が詰まる。自分を客観的に見よ、などとよく言われるが、そうか、他の天体からきた魂の視点か…と何度も読み返してしまう。神とか超自我とかいうよりよほどわかりやすい。私の肉体など、遺伝子の乗り物に過ぎないのだからなあ、などと考えてしまう。
鳥もノネズミも樹々も自分も自分の病気も家族も世界の在り方も戦争も。あらゆるものへのまなざし。希望とあきらめと祈りと愛しみ。様々な感情が静かに染み入ってくる。この人の書くものを、まだ読みたい、と思う。