142 能町みね子 文芸春秋
週刊文春連載の「言葉尻とらえ隊」2021年10月から24年4月までを収録。岸田内閣発足あたりから能登半島地震復興支援・勧進大相撲が行われたあたりまで、コロナ禍が一応終息したような空気感になり、安倍元首相暗殺という大事件があった時期である。
前巻「皆様、関係者の皆様」の感想でも書いたけれど、時事ネタはあっという間に過ぎていき、いろいろなことが遠くに過ぎ去ってしまう。忘れちゃいけないこともたくさんあるというのに。光陰矢の如し。
ジャニーズ、宝塚、松本人志の巨大なスキャンダルが出た時期でもあった。安倍元首相の暗殺から一気に統一教会と自民党の癒着問題が出て、そしてそれが曖昧になり、ごまかされていった。能登半島地震に対し、国は手をこまねいて何もしなかった。LGBTQの人々への理解が深まりもしたが、それに対する攻撃的な論調もまた増えた。
能町みね子は、そういった出来事ひとつひとつを、彼女独自の、誰にも忖度しない鋭い切り口で書き出している。この人は賢い。日々起きる様々なことを取り上げているので、もちろん内容はばらばらだが、印象に残った話をいくつか。
女優の橋本愛がSNSでトランスジェンダー女性の入浴施設利用は「体の性に合わせて区分する方がベター」と発言した。それが炎上したのちに彼女は文春誌上の「読書日記」内で反省を示し、現状の理解度を丁寧に説明した。
トランスを嫌悪する者が錦の御旗のように掲げる「男性器のある自称女が女湯に入ってくる説」を「(法律は)『自分はトランス女性だ』と言えば陰茎を有した人が女湯に入れるようになるものではない。もしそのような人がいれば建造物侵入で逮捕される」と簡単に切り捨てる。そして、「資料などの中に、『トランス女性が性別適合手術をしないまま女湯に入ることを許可して欲しい』と訴える声は一つもなかった」と冷静に読解し、すでに入浴施設で個室を利用する例などがあることを語って「私たちが気づいていないだけで、もう既に、あちこちですれ違っているはずなのだ」と、現状を知らなかった自分の理解の浅さを悔いている。
「犯罪者が恐ろしいのはみな同じだ。私が許せないのは、人々の安全を侵害してきた、全ての性犯罪者たちだ。どんなセクシャリティであっても許されるはずがない。怒りや責任の矛先を間違えてはいけない」と彼女はまとめる。
「怒りや責任の矛先を間違えてはいけない」というのはすごく大事な指摘だ。これを間違える人は多い。かくいう私だって間違えることがある。何か理不尽なことが起きていると気が付いたとき、何が根源的な原因なのか、本質的なことは何なのかを見極める力は極めて重要だ。そして、その力を鍛えるには、読書が大事だと私は思っている。能町さんも、そう書いている。
もう一つ。「空飛ぶ千羽鶴」という章。これは、ブルーインパルスのことである。そもそも私は高所恐怖症なので飛行機に憧れはない。必要悪で旅行の時は乗るけどさ。そういう個人的な事情を抜きにしても、ブルーインパルスっていいか?あれを見ると、元気が出て、勇気が湧いて、励まされるか?と思っていたところへこの文章に出会い、そうか、そういうことだったのか、と腑に落ちたのだった。
思い返せば私は、かつて4年前のコロナ禍初期、医療従事者への感謝の名目でブルーインパルスが飛ばされたときもやっぱり呆れていました。
ところが、肌感覚で言えば、周りは意外にもブルーインパルスを楽しみにしていました。党派的に興味なさそうだったひとも案外空をワクワク眺めていました。元気になって奮い立つはともかく、生活の刺激になり、明るい気持ちになる人が多いことは認めざるを得ない。
また、ブルーインパルスに否定的な層が最近、SNSでブルーインパルスを「空飛ぶ千羽鶴」と揶揄する動きがあることも私を複雑な気持ちにさせました。
東日本大震災以降だろうか、ネット世論では千羽鶴を迷惑なものの象徴であるかのように嘲笑する傾向があります。(中略)
しかし、千羽鶴自体が無益、非効率、として嗤われるのは、それこそ最近の冷笑的なインフルエンサーが非生産的活動や老人や弱い立場の人を切り捨てるのと同じ方向性に感じられます。(中略)
ということで、実は私はブルーインパルスの飛行にあまり反対でもなくなった(賛成でもない)んですが、人がこんな時にブルーインパルスをありがたがるのって、国にその程度のことしか期待していないからだと思う。その無意識がうっすらと怖い。
(引用はすべて「正直申し上げて」能町みね子 より)