109 池田晶子 陸田真志 新潮社
池田晶子の哲学の本は、16年ほど前に読んだことがあった。わかりやすくて納得のいく、良い本であった。でも、あれは14歳に向けて書いた本だったからね。この本はそれよりははるかに難しく、理解するのに苦労した。というか、たぶん、ちゃんと理解できていないと思う。
なんでこの本を読もうと思ったのだろう。誰かとの往復書簡なんだな、と読み始めたら、何と相手は殺人を犯した死刑囚であった。池田晶子は、同じく死刑囚の永山則夫から手紙をもらったことがある。だが、彼女は返事を出さなかった。なぜなら、決定的に大事なところを間違えていると思ったからだという。そして、陸田真志からの手紙である。こちらは非常にうれしく、すぐに返事を出そうと思いながら、折悪しく体調不良で入退院したりして果たせずにいた。その間に、その手紙を読んだ編集部が彼に手記を依頼し、それへの断りの返事が来た。その手紙がまた素晴らしいものであったため、池田氏本人が直接手記を依頼するに至った。そこから始まった往復書簡の記録がこの本である。
第一審で彼は死刑判決を受けるのだが、控訴しない場合、二週間後にはどこか別の拘置所に移送されて、以後、外部との連絡が一切不可能となる。それでは往復書簡は成立しない。そして、彼は控訴するつもりがない。そこで、池田氏は「控訴せよ」と手紙を送る。何をカッコつけてるんだ、いいから控訴せよ、控訴して自分の哲学を語る時間を作れ、と。このあたりのやり取りはなかなか迫力があって興味深い。かくて、彼は控訴し、時間を得て、この往復書簡が出来上がるのだ。
死刑は極刑で恐ろしいものだというのは違う、と陸田氏は言う。どんな人間もいわば死刑囚であり、死は逃れ得ないものである。死刑囚は、その死がいつ、どこで誰によって与えられるのがわかっているだけで、それはひどく残虐なものでもないし、恐ろしいものでもない、と言い放つ。自分は悪を成したから、自分がなした悪を悔いているのだから、静かに死刑を受け入れる、という。だが、だとしたら、あなたはあなたの殺した人だって特に気の毒であるとは言えないし、あなたは悪を成したわけではないという理屈になる、と池田氏は指摘する。あなたは人を殺した。それはほかの人にはない経験である、それを語れ、と彼女は迫る。どんなに想像で人を憎んで殺したいと思っても、それを本当に実行する人間は極めて少ない。それをやってしまったのはなぜなのか、それをするということはどういうことだったのかを、他ならぬあなたが語るべきである、と池田氏は迫る。
実際には書簡の中にはプラトンだのソクラテスだのヘーゲルだの出てきて、かなり難しい。難しいが、語られているのは、実は深いけれどわかりやすいことなのだと思う。思うが、やっぱり難しい。という複雑な本なのである。ある人にとっては、死刑囚が偉そうに何を語る、と腹立たしいかもしれないし、四の五の言わずにさっさと私刑にしろや、というかもしれない。あるいは、死刑などと言う刑罰はあるべきではない、という人権的立場からものいう人もいるだろう。だが、それらを超えて、彼らは哲学を語るのである。なんかすごい。すごいけど、難しい。難しいけど、何かわかる気もする。と、ぐるぐる考えているうちに、読み終えてしまった。
池田晶子氏は病を得て、陸田氏よりも先に亡くなる。その二年後に、控訴して死刑を言い渡された陸田氏の死刑が執行された。池田さんに会えるならうれしい、と彼は執行前に行っていたという。