68 榎田ユウリ 講談社
スーパーで働く冴子は、背ばかり高くてパッとしない中年女性。レジで客に舐められ、実家に帰れば家族から馬鹿にされ、だのに介護要員と認識される。ある日、レジで傍若無人な客を撃退する派手なジャージ姿の老女に遭遇。彼女の名前は山田グロリア。モラハラ夫に支配される親友を助けるため、冴子はグロリアのもとで修業を開始する‥‥。
アルコール依存症の夫から逃れるために大決心をして離婚した冴子に家族は、我慢が足りない、親の許可も得ないで、勝手に何をやっているんだとなじる。なじるくせに、認知症の症状が出てきた母親のために仕事を辞めて帰ってこいなどと当然のように要求する。自分は何の関係もないという態度をとる兄。冴子は子供時代から、かわいげがない、女の癖に勉強しかできない、きれいな着物なんて似合いもしないのにもったいない、などなどと言われ続けてきた。職場でもおばさん扱いされ、女子供のくせにとさげすまれる。
ああ、なんという既視感。女性なら、誰しもこんな言葉を投げつけられた覚えがあるだろう。こんな扱いを受けた覚えもあるだろう。でも、そんなのは気にせずスルーして、上手にいなしてこそいい女、と私たちは刷り込まれてきたのではないか。怒る価値すらないのだから、気にしないに限る、と自分に言い聞かせてきてしまったのではないだろうか。
少し前に「正しく怒る」がテーマのドラマを見た。「山田轟法律事務所」である。女性だけでなく、虐げられているあらゆる弱いものが正しく怒る。胸に迫るドラマであった。それを思い出した。
思えば私も「正しく怒る」ことを怠った人生であった。とりわけ父親との関係性において、本来なら怒らねばならないことをずいぶんと見過ごしてきた。家族の中では、一番、父と戦った人間であるとは思うが、だとしても、言うべきことの二割程度しか言えなかった。父の死後、「父に言えなかったこと」の残像が思った以上に心に残り、疼いた。正しく怒らず我慢することは、実はその人自身の心を傷つけるものだと知った。
この小説は、冴子がグロリアや周囲の人々に教えられ、助けられて正しく怒り、悪を成敗する物語である。そう、勧善懲悪。でも、世の中はなかなかそうはうまくいかない。だからこそ、読むとスカッとするのだろうけれど。ただ、理不尽なことをする人は、実はその人自身も理不尽にさらされた経験のある人である。そのことも、この小説はさらっと描いている。殺し屋になったり、激しい修業を積んだりしないでも、正しく怒るべきことを、その場できちんと怒れるようになれたら、それが一番だ。そう思った。
