101 最相葉月 ミシマ社
「証し」の最相葉月のエッセイ集である。本を書く仕事を初めて30年、還暦を迎え、あちこちに書いてきたエッセイやコラムをまとめての一冊である。ノンフィクションが本来の仕事であるため、個人的なことはむしろあまり文章にしない著者である。私もこの人の本はずいぶん読んだのに、どんな人なのかあまり知らずに来た。50代で認知症になった母親を30年間にわたって介護されていたとは知らなかった。母より先に、父が亡くなったという。介護が始まったころ、ヘルパーさんから、自分の親の介護はほかのヘルパーにたのんでいると聞いて救われる気がしたという。人に頼っていいと安堵できたのだそうだ。
私はこの本を、毎月通っている実家に向かう車内で読んだ。実家には90歳の母がいて、一人暮らしをしている。母は、福祉の世話になりたくはないと頑として言い張る老人である。そのくせ毎日が寂しくてならない。私は一か月に一回、二泊三日で、姉は週に一回、昼から夕方まで実家に行き、交代で世話をしている。あとは一人でご飯を作って食べ、洗濯をし、ほぼ趣味ともいえる庭の草取りに励む。その合間に聖書や、そのほかの本を読む。かろうじてガラホでメールが打てるので、耳が遠くても意思の疎通が図れて助かってはいる。
身内の介護は難しい。自分のこれまでの歴史を振り返ると、身内との関係性は良き思い出だけで構成されているわけではない。もちろん感謝やいたわりはあるが、疑問や不満や時に怒りだってある。身内だからこそふがいないと思ったり許せなかったりすることもある。他人が介入したほうが絶対に気楽な部分はあるのだが、母はそれを頑として拒絶する。今はまだ、それでも何とかやっていける能力が残されているので良いのだが、早晩、福祉の世話にならずにはおられないだろう。
母に残された日々が明るく穏やかなものであってほしいと私は心から願っている。介護をするのは自分の役割であるとも思っている。出来るだけ楽しく安心できる時間を共に過ごしたい。それで、月に三日間、たくさんのおしゃべりと、家事と、雑務に明け暮れて、来月またね、と元気に手を振る・・・のであるが、帰りの新幹線の中で、がっくりと疲れがのしかかってくる。それは、肉体的なものだけではない。精神的にも、さまざまな思いがあふれ、揺さぶられ、帰宅後三日間くらいはどこか茫然とする。今回は、ひどい頭痛にも襲われた。身内の介護は、本当に難しい。
そんな日々を、最相さんは30年間続けたのか、と頭が下がる。ヘルパーを頼んでいい、他者にゆだねることで少しでも自分の時間を保持しなければ、と私もつくづく思う。母親の最期の日々を、彼女は「母の最終講義が始まった」と表現したが、まさしくその通りだと思う。身内の老いは様々なことを教えてくれる。良いことも、悪いことも。その学習は極めてハードである。だが、せっかく講義を受けるからには、それを出来るだけ実のあるものとし、どん欲に学ぶしかない、と改めて思う私である。