涙の重さ~飛ぶ教室~

「飛ぶ教室」ケストナー作 丘沢静哉訳

もう、言わずと知れた、ケストナーの大傑作です。今まで何度も読み返しました。今回は、新訳です。

翻訳が変わったからと言って、作品のテイストが変わったとはあまり思いません。少し、禁煙先生や、正義先生が、自分の方へ近づいたかな、厳しさが減ったかな、というくらいです。何度読んでも、この本には感動します。

どうして大人は自分の若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(この機会に心からお願いしたい。子ども時代をけっして忘れないでもらいたい。どうか約束してもらいたい。)
 人形が壊れたからでも、あとで友だちを失ったからでも、泣く理由はどうでもいい。人生で大切なのは、何が悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない。ずっと重いことだってよくある
。(「飛ぶ教室」ケストナーより)

そうなんだよね。子どもの私は、大人から見てなんでもないけれど、自分にとってはどうしようもない、とても辛くて耐え切れないような悲しみに打ちひしがれることが、時としてありました。だけど、それをわかってくれる大人はとても少なくて。

私はきっと、大人になったら、子どもがなぜ悲しいかはわからなくなってしまうだろうけれど、でも、どれくらい悲しいかはわかってやれる大人になろう。そんなふうに決意した事を、覚えています。もしかしたら、それは、この本を読んだことがきっかけだったのかもしれません。

そういう大人になれたかどうか、もしかしたら、私も子どもは気楽でいいなあ、なんて見くびってしまう大人になってしまっているのかもしれないけれど、でも、これを読み返すたびに、ああ、そうだった、と思い出します。

「いま見てる星の光って、何千年も前のものなんだよ。そんなに長い時間をかけて、僕らの目に光が見えるようになるんだ。もしかしたらさ、ここで見えてる星のほとんどは、キリストが生まれる前に消えちゃったかもしれない。でもその光はまだ旅をしてるんだ。だから、僕らにはこんなに光って見えてるけど、実際はとっくの昔に冷たく暗くなっちゃってるんだ」(「飛ぶ教室」ケストナーより)

気が遠くなるような気持ちになった事を、今も思い出します。遙かな時の流れと、いま、ここに私が生きていることと。いくつになっても、この作品は、私に新しい感動をくれます。

2007/12/29

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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