70 熊谷守一 神無書房
先日、東北を旅してきた。その話は、そのうち書けたら書きたい。岩手県遠野市の「子どもの本の森 遠野」も見学した。素晴らしい図書館で、近所の子供になって、毎日通いたいと思った。図書館のつくりも、本の並びも、うっとりするくらい良かった。書棚にこの「熊谷守一クロッキー集」が並んでいて、ぱらっと見ただけで魅了された。帰宅後、さっそく夫が県立図書館から借りてきた。
数年前「モリのいる場所」という映画を見た。熊谷守一夫妻を描いた映画である。山崎努と樹木希林が演じた。ちょっとした非日常もあるにはあったが、基本、老夫婦の日常をただただ追っただけの映画である。それが、ちっとも退屈ではないのに感心した。役者たちの力量によるのだろうけれど、そもそも熊谷守一も、その妻も、こういう人たちだったのだろうと思った。
クロッキーは素晴らしい。単純な線で、雑とも下手ともいってしまえばいえるかもしれないが、そこには表情があり、心があり、動きがあり、温かいユーモアがある。私はカエルが好きなのだが、蝦蟇の絵など、ずっと見て飽きないほどである。「アリは左側の二番目の足から動き出す」と熊谷守一は言ったそうだが、そこまで見つめ続けて描いたと言われると納得する、簡潔で美しい蟻の絵もある。
後半には白洲雅子や谷川徹三との対談が収められている。飾らない、率直で自分に正直な熊谷守一の人間性がよく伝わってくる。
それにしても。マチスは晩年、美しい切り絵を作り出し、ピカソは晩年、無邪気で素直な絵皿を作った。熊谷守一の晩年のクロッキーも、昭和天皇に「これは何歳の子どもが描いた絵ですか?」と問われたという。歳を取るということは不自由なものだが、それゆえに余計なものから解き放たれて、幼い子供のように素朴に美しいものを生み出すことができるようになるものなのだろうか。
良い画集であった。熊谷守一、大好きである。