140 河合隼雄 小川洋子 新潮社
2008年に出された対談集。2005年、小川洋子原作の映画「博士の愛した数式」について、週刊新潮で河合隼雄氏との対談が行われた。一度きりの対談だったはずが、小川洋子によると「よほど私が心残りな素振りをしたに違いない」ことから、新たな対談が行われた。それが2006年6月。そして、河合隼雄氏が倒れたのが8月17日。もし河合先生がお元気だったら、もっと厚みのある本になっていたのかもしれない。
もともと高校の数学教師だった河合隼雄氏は「博士の愛した数式」に強い印象をもったという。作者自身が意図しなかった様々な「うまいこと」が物語の中で起こっていると彼は指摘している。すなわち
年齢も社会的立場もかけ離れた博士とルートが、実は根(ルーツ)を同じくする関係であり、二人の間に友情が育まれるのは当然の流れであったこと、最初隔てられていた義理の姉の母屋と、博士の離れに、最後、道(ルート)が開かれること、大人になったルートと死に近づいた博士がキャッチボールをする場面に、心理療法の現場にも通じる深い意味が隠されていたこと。
単なるダジャレだけどね、と笑う河合先生に、小川洋子はこんなことを思う。
何の考えもなくつけた名前が、作者の手を飛び立ち、物語の中で自由自在に動き回っている。作者には内緒でこっそり小さな秘密を仕掛けてゆく。読者の誰かがその秘密に気づく。作者を置いてきぼりにして、ルートとその読者だけがそっと目配せを交わし合う。
妄想の人、小川洋子の中で広がる豊かで幸せな妄想である。
河合隼雄は、この題名の通り、生きることと、自分の物語をつくることについて、様々な著作の中で語っている。若いころから私は何度もそれを読んだけれど「物語をつくる」とはどういうことなのか、いまひとつわからなかった。だが、この対談を読んで、腑に落ちたような気がする。
人間は矛盾しているから生きている。まったく矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾しているんだということを、意識して生きていくより仕方ないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。
僕の言い方だと、それが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。
そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。
(引用は「生きるとは、自分の物語をつくること」より)
若いころ、私は自分が嫌いだった。嘘つきで、不誠実で、言ってることとやってることが違っていて、正しくなく、矛盾してる自分が嫌いだった。いわゆる中二病と言う奴だったのかもしれないが、それは結構長いこと続いていた。だが、この歳になるとさすがに、自分が矛盾していても、それを引き受けて、受け入れて生きていけばいいんだという開き直りと受容ができるようになってきている。そこにあるのは不整合や不誠実ではなく、ある種の物語であり、個性である、と河合先生の言葉を読んで納得できるようになっている自分に気がつく。そして、いつのまにか私は私をそれほど嫌いではなくなっている。ありがたいことに。
もう少しこの二人の対談を読みたかったと思う。でも、それは欲張り過ぎなのかもしれない。