66 園部哲 集英社インターナショナル
第72回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。非常に興味深く、面白かった。
作者は商社勤務でロンドンに駐在し、その後退職して翻訳家となった経歴を持つ。通算30年をロンドンで暮らしただけあって、生のロンドンの姿がくっきりと浮かび上がる。とりわけコロナ禍のロンドンの話は、その場にいた人ならではの臨場感があった。
空から人が降ってくる話には驚いた。飛行機の車輪格納部に潜んだ密航者が、降下姿勢で開いたハッチから取り落とされるホットスポットがあるのだ。落とされて亡くなった者と何とか命だけはとりとめた者のその後が語られる。日本で同じことが起きた時、同じ対応がされるとはとても思えない。
人種差別の問題への対応も、日本とはまるで違う。最近問題になった、コロンブスにまつわる音楽PVについて「何が悪い?」という声が上がったことを思い出す。イギリスでEU離脱が決まったとき、それまで抑圧されていた外国人への憎悪が露骨になり、ヘイトクライムが60%も増加した。ロンドンのポーランド社会文化協会のドアに「出て行け糞野郎」的な罵詈雑言が対処されるという事件が起きた。後日そこへ行ってみると落書きはきれいに消され、受付デスクは花束で囲まれていた。「元気を出せ、ポーランド人たち」「わたしたちはあなた方を愛している」「私たち英国人は第二次世界大戦中、共に戦ったあなた方ポーランド人に感謝し、英国社会に対するあなた方の大いなる貢献を決して忘れません」などというカードで壁は埋まっていた。近所の公立小学校の生徒たちの「私たちは友だち」という寄せ書きもあったという。
いったい私たち日本人の誰が、ひどい差別的な事件があったときに、そんなカードや花を送ったり、寄せ書きをしたことがあるだろうか。差別が人を傷つけることをわがことのように感じ取り、励まそうとしたことが一度でもあるだろうか。文化的な違いはもちろんあるだろうけれど、私は盲点を突かれたような気がした。
ある旅行者が列車のコンパートメントに乗り込むと先客がいた。山高帽をかぶったイギリス紳士が姿勢を正して新聞を読んでいる。ただ、彼の両耳にはバナナが刺さっているのだ。なぜそうなっているのか、旅行者は悶々と悩み、ついに意を決して声をかける。「まことに立ち入ったことをお尋ねしますが・・どうしてあなたの耳にはバナナが刺さっているのですか?」「は?」と紳士は何度か聞き返し、さて、最後に何と答えたか。それを知りたければ、ぜひ、この本を読んでください。