57 村田喜代子 講談社
信頼の村田喜代子さん。2003年にいくつかの新聞に連載した後、2004年出版された本。村田さんの本は全部読んだつもりだったのに、読み残しがあるのに気が付いて、見つけ次第、読んでいる。これ、読んだかも…と思って読み始めたけど、最後まで新鮮だったから、たぶん読んでない。最近は途中まで読んで「前に読んだ!」と気が付くケースもあるけどさ(笑)。
百年佳約とは結婚のこと。文禄、慶長の役で朝鮮から連れて来られた陶工一族の婚姻の物語。主人公はすでに死んで墓にいる百婆である。朝鮮の弔いって大変。親を亡くした子は百日間は粥だけで過ごす。百日後からはただの飯になるが、おかずはなし。これが翌年の一周忌まで続く。しかも長男は毎日墓に参らねばならない。これじゃ人が死ぬと第二次災害が出るよなー。
百婆は毎日通ってくる長男を見たり、里に下って一族の様子を見物する。たまに彼女が見える人間もいるのだが、それもいつもではない。何かの拍子に見えることもあるし、百婆も、たまにちょっとモノを動かしたり、人に語りかけたりすることもできる。百婆自身、自分がなぜ死んでもまだ墓にいて天に昇らないのかよくわかっていない。そんな百婆の目から見たこの一族の婚姻の形がこの物語のテーマである。
朝鮮の一族は人数が少なく、さらに同じ姓、同じ本貫(氏族集団発祥の地)の者と結婚ができない慣習がある。そのため、朝鮮人同士で婚姻を繰り返すのには限度がある。この物語は移住者二世の世代になっているので、その過渡期にある。日本人の陶工との婚姻に踏み切るかどうかの瀬戸際の時期である。朝鮮から渡ってきた百婆は、日本人との婚姻に抵抗があるが、どこにでも入り込めるので相手の日本人の様子も見ることができる。これならよい働き手になる、これは人柄がよい、などを見定めて気持ちが変わっても行くし、また、結婚する当人たちの意思もそれぞれに移り変わっていく。その流れが面白い。女性は見た目が重視されるので、疱瘡を患ってあばただらけの娘が、気立ては良いのに嫁げずにいることを百婆はふびんにも思う。朝鮮の慣習では、誰とも結婚できないと、死者と結婚させられることすらある。どうしても一度は結婚しないと女性は鬼に生まれ変わるとさえ信じられている。また、木と結婚する木婚という風習すらあるというから驚く。様々な婚姻が、物語の中で行われる。
百婆は元気が良い。のびのびと集落を動き回り、観察する。村田さんの物語はお年寄りが本当に生き生きしている。生きた人間と死んだ人間、現実と幻想が入り混じり、何の不自然もなく混在、両立する。「姉の島」でも同じようにお年寄りが生き生きと活躍し、現実と夢と幻想を何の障害もなく行き来していたが、こういうスタイルは実は2003年には確立されていたのか。
この本を読んで、九州の陶工の街へ行きたくなった。朝鮮から連れてこられた陶工たちの技術がいまに引き継がれているその場所を見たいと思った。