目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

144 川内有緒 集英社インターナショナル

川内有緒を読むのはなんと八年ぶり。八年前に「この人の本をもっと読みたい」と書いていたのに、ずいぶん待ったなあ。その間に結婚して子供も産んでたんだね。そして、相変わらずパワフルに生きている。

本作品は「2022年 Yahoo!ニュース 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞している。夫が借りてきて、面白いよというので手を出してみた。目からうろこがぽろぽろ落ちていく本であった。

弱視で生まれ、小学校低学年で全盲となった白鳥さん。そんな白鳥さんと美術館巡りをすると楽しいよ、と作者の友人、マイティが誘ってくれる。目の見えない人と美術館に行って、何がどう楽しいのだろう、といぶかりながら、アートをめぐる旅が始まった。アートを前に、見えるもの、感じたことを話しているうちに作品の見え方が変わり、違う世界が広がっていく。見えないのに、なんでアートを見にいくんだろう、という最初にあった疑問は、どんどんどうでもよくなっていく。芸術って何だろう、障害って何だろう、生きるってどういうことだろう、といろんなことに気づいていく。

そんな大上段な本じゃないんだけどね。ただ、白鳥さんという全盲の美術鑑賞者と行動を共にして、一緒に歩いて、見て、しゃべってるだけなのに、いろんなことがわかってくる、考えるきっかけをもらう。それがとても自然でわかりやすくて楽しくて、これ、もしかしたらすごい本じゃないかしら、と思った。

目の見える人が目隠しをして美術館を歩いて、見えない人の気持ちがわかるかというとわかりっこない。だって外せば見えるんだもの。そんなことで一瞬分かった気になってもしょうがない。でね。白鳥さんは、もし、医療の力で見えるようになると言われたら見えるようになりたいかと問われて、でも、いま別に不便じゃないから、このままでもいいかな、と当たり前のように答える。日ごろ、どこかに出かけたり、何かをするうえで、取り立てて不便を感じているわけでもないし、それが当たり前になっているし、と。アートを見る、ということも、白鳥さんは白鳥さんのやり方で、独自にとても楽しんでいるし。

芸術をどう受け取るかは、受け手の自由である。これを感じ取らねばならない、これこそが芸術の真実である、なんてものはない。それを見て、触れて、感じ取って。それが、楽しければいいし、何か考えるきっかけになればいいし、生きていることに何か意味を一つ付け加えられればとてもいいし。

障害のある人を美術館で受け入れるようになったスタッフが言ったという言葉。

「美術館にはたくさんのボランティアの方がいるのですが、こういった活動に触れるにつれてボランティアの方たちや作品を管理するスタッフも、いろんなことに慣れていきました。いまは障害がある方が美術館にいらしても、みんながすっと自然にご案内できるようになったと思います」

「でも、こうした活動を通じて言えるのは、なによりも自分が楽になることですよね。いろんなひとがいて、どんな状況でもやっていけるって」

この「美術と出会って楽になった」という言葉は、この二年間で何度も耳にしてきた。マイティ、白鳥さん、そしてわたしも本をただせば「ここじゃないどこか」を求めて美術館に逃げ込んだ。私たちは、自分に絡みついてくる常識や、女性、盲人、高校生、社会人など、押し付けられるステレオタイプや「べき論」から、自由になりたかった。そうして家や学校、職場を飛び出したとき、そこにたまたまあったのが美術館だったー。
(引用は「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」より)

芸術ってそういうことなんだ、と改めて思う。私は訳の分からん現代美術を見るのが案外好きで、なんじゃこりゃ、と思いながら不思議な作品をわくわくとみる。(もちろん、オーソドックスな芸術も見るし、好きよ。)やりたい放題の現代美術を見ていると、わかるとかわかんないとかを通り越して「なんだっていいんだ!」「生きるって自由なんだ!」「私は私のやりたいようにやっていいんだ!」みたいな勇気がむくむくと湧いてくるのがわかる。それは、目の見えない人にだって、それを見ている人の言葉を通してちゃんと伝わっていくんだ、と自然にわかる、伝わってくる。そして、もしかしたら、目の見えない白鳥さんと一緒にいるからこそ見えてくるものだってたくさんあるんだ、と思えてくる。

なんかいい本だったな。元気が出る。一人暮らしの孤独で、時に不安に取りつかれてどうしようもなくなる老母を励ましに行く新幹線の中でこれを読んで、どれだけ勇気づけられたかわからない。おすすめです。