69 桐野夏生 朝日新聞出版
ネグレクトと虐待、貧困の問題を扱った小説。主人公は学校に行っていれば六年生の少年。ネグレクトの母親が学校への手続きをせずに住処を移すので、どこの学校にも所属しなくなった。腹違いの弟と二人で母の交際相手の家に取り残され、食べるものもなく、コンビニで賞味期限切れの弁当をもらう生活。コンビニの店長には重い障害を持った娘がいたが、亡くなってしまう。いくつかの出来事があり、娘の喪失感を埋めるように、コンビニ店長の夫婦は少年の里親となる。
読んでいて、重く、つらく、最初は途中で読みやめようかと思ったほどだ。それでも桐野夏生特有のリーダビリティに引っ張られて最後まで読んだ。少年は母親に捨てられていたが、その母親もまた、母に捨てられた娘だった。そして、目の前の事柄にしか反応できない、物事を広く全体像として捉えられない程度の能力しか持っていない人間でもあった。
これは、どこかのかわいそうな子どもの物語ではない。ごく普通の家庭のようでも、その中で子どもの気持ちがわからない、自分の目の前の欲望にしか反応しないような親は、どこにでもいる。そしてまた、貧困の中で、どうしようもなく子どもを愛せなくなった親もいる。親はそんなつもりでなくても、実は子どもを捨てている。そういう家庭は増えているのではないか、と私には思えてならない。
ただ、当たり前に普通に生きていこうとしているのにどんどんと追い詰められていく少年の姿が苦しくてならなかった。外側から見たら、ひどい非行少年であり、思春期に問題行動を起こす問題児であるかもしれない、けれど、彼の中には切実な思いがあり、事情がある。少年の立場から見れば、世の中はただただ理不尽で意地悪だ。大人は子どものことなど、何もわかっていない、と私は思う。子どものころ、ずっとそう思っていた。私も大人になったら子どもの気持ちはわからなくなるだろうけれど、でも、自分は子供の気持ちがわかっていない、ということだけはわかる大人になろうと思っていた。そのことを、思い出す。
里親になったコンビニ店長の妻だけは、彼の気持ちを汲み取っているように感じる。小説のエンディングを、中途半端だと感じる人もいるかもしれないが、私は、里親であるコンビニ店長の妻の存在が、わずかであっても少年の助けになるのではないかと思えてならない。どんなに悪い子でも、どんなにひどい問題行動を起こす子でも、その中には切実な思いがあり、自分でもどうしようもない苦しみがある。それを、私たち大人は見落としてはいけないのだと思う。大事なのは、罰ではなく、愛情である。私は心からそう思う。