羊皮紙をめぐる冒険

羊皮紙をめぐる冒険

2025年4月29日

59 八木健治 本の雑誌社

ご近所に新しくできた小さな書店で購入。サイン本であった。やったね!

翻訳を業とする会社員である作者、八木氏は、この「羊皮紙」というものに興味をもった。言語学を研究し大学院まで進んだ彼は、世界にある無数の言語に心惹かれていた。訳の分からない記号の羅列は、その法則を学べば濃い霧が徐々に晴れゆくように意味を成していく。ある日、アラビア文字事典を手に入れた彼は、絵画芸術のようなアラビア文字の魅力に取りつかれ、カルチャーセンターの「アラビア書道講座」に申し込んだ。講座の作品展に出展するに際し、白い紙に書いても面白くない、そもそも下手だし…と思った彼は、羊皮紙に書いてみたいと考えた。探したら売ってはいたが、A4サイズ一枚で4000円という強気のお値段。そこに書いた書道は、下手はやっぱり下手であった。が、その辺りから彼の羊皮紙への熱は徐々に高まって行く。中東シリアやヨルダンに旅をし、ヘブライ語書道の通信教育を受け、ある日、ウェブサイトで中世の羊皮紙のつくり方を発見。そこから手探りで彼の羊皮紙づくりが始まる‥‥。

そもそもが自分に何の興味のないことであっても、ある人が本当に好きで好きで仕方ないことや物について熱く語る話は面白い。誰にも理解されなくとも、愛してやまないものに夢中で向き合っている人の姿は崇高で、生きる喜びにあふれている。この作者は、何の儲けにもならなければ誰にも賞賛されなくとも、昼間は会社でまじめに働き、帰宅後は自宅のふろ場で悪臭に悩まされながら獣の皮を薬剤に浸し、かき混ぜ、乾燥させ、毛を削ぎ、表面を削り取るという作業に没頭する。その作業経過を語る言葉は楽しさと喜びに満ちていて思わず笑ってしまうほどだ。ものすごく大変だし、時としてなぜこんなことやっているのだろうと茫然とすることもあるけれど、それをはるかに凌駕する喜びが文章からあふれ出ている。

この直前に読んだ「魔窟」が、それこそ気分が悪くなるほどの俗悪な欲望にまみれた本であったために、余計にそのコントラストがまぶしかった。金や権力や外車や美女やブランドものにまみれて威張り散らす日大周辺のオヤジたちよりも、材料費や作業場に汲々としながら必死に羊皮紙づくりに精を出す八木氏のほうが、はるかにさわやかで崇高で人生の喜びに満ちて美しい。私は断然、こちら側の人間でありたい。

何かに興味を持つこと、もっと深く知りたいと思うこと、そして、できうるならば自分の手でそれを手に入れて触ったり、作り出したいと願うこと、それを実行すること。それこそが人生であり、生きる喜びだ。確かにこの本の題名通り、彼は羊皮紙をめぐる「冒険」を果たしたのだ。人にはそれぞれにいろいろな冒険との出会いがある。それをつかみ損ねることなく、自分だけの冒険に乗り出せたら、それこそが生き甲斐というものなのだと思う。良い本であった。おすすめ。