92 伊予原新 新潮社
猿橋賞という賞の名前は知っていた。優れた業績を上げた女性科学者を顕彰する賞である。たぶん、米沢富美子の本を読んで知ったのだと思う。米沢氏は第四回猿橋賞を受賞しているので。だが、この猿橋賞、案外知名度がない。そして、猿橋勝子という人はそれ以上に知られていない。というより、私自身がよく知らなかった。この本を読んで、愕然とした。
マリー・キュリーに憧れて科学を志した猿橋勝子。東京府立大六高女から帝国女子理学専門学校に進み、戦時中は気象庁で研究を重ねた。単なる助手から出発してその力量を認められ、彼女でないとできない微量拡散分析法を開発。それはのちに、海洋の放射能汚染研究に大きな力を発揮した。
ビキニ事件で第五福竜丸が被ばくした際の放射能測定に携わった彼女は、平塚らいてうの依頼により国際民婦連の世界大会で「核実験の人体に対する影響」という講演を行い、大きな反響を呼んだ。その後、彼女と上司の三宅博士はアメリカの海洋研究所が発表した南カルフォルニア沖の海中のセシウム137の濃度に対し、日本近海ではそれより一桁も汚染の度合いが高いことを発表した。核実験の安全性を主張していたアメリカは大きく反発し、測定が誤りだと批判。そこで、三宅博士はアメリカの原子力委員会に同一の海水を用いた日米の相互検定を申し入れた。猿橋は放射能分析法の相互比較を目的としてスクリップス海洋研究所に招聘され、アメリカの第一人者フォルサム博士との間で微量放射性物質に対する分析測定法の精度を競い、結果、猿橋の分析がより高い精度を示した。フォルサムは猿橋を高く評価し、研究結果を受け入れ、さらには論文を共著で発表。これがその後の核実験禁止条約につながった。
それだけの功績のあった彼女だが、当初は「女性に分析などさせて大丈夫なのか」などと陰口をたたかれ、戦前に女性に対し門戸の開かれてなかった大学を出ていないことから低学歴をそしられたりもした。だが、優れた業績を重ねた結果、男性だけで構成されていた日本学術会議の会員となり、地球科学研究協会三宅賞、エイボン女性大賞なども受賞している。そして、彼女が気象研究所を体感した時に集まった500万円の祝い金をもとに「女性科学者に明るい未来をの会」を立ち上げ、そこから始まったのが猿橋賞なのである。
海外では日本のマリー・キュリーなどと呼ばれ、彼女の作り上げた、水中に溶け込んだ炭酸ガスの三様態の存在比の一覧表は「Saruhashi Table」と呼ばれている。何より、日本の科学力を軽視したアメリカにその正当性を認めさせ、核実験禁止に大きな功績をあげた。だというのに、なぜこれほどに彼女の知名度が低いのか。自分も含めて、その事実に愕然とする。
女学校を出たらお嫁に行けばいいと言われていたその時代、一人の女性として道を切り開き、戦火の中、家族や友を失いつつ苦労して生き抜き、科学に身をささげた彼女の一生。この人を知ってよかった。この本を読んでよかった。私には、まだ知らないことが多すぎる。と、改めて思う一冊であった。
著者は「宙わたる教室」「青ノ果テ」「月まで三キロ」の伊予原新である。
