耳に棲むもの

耳に棲むもの

39 小川洋子 講談社

わたくし史的には「生きるとは、自分の物語をつくること」以来の小川洋子である。作品発表的にはその前に読んだ「からだの美」の方がずっと新しいのだけど。いずれにせよ、私の大好物の小川洋子作品である。

この本は、短編連作。耳鼻科医院の院長や補聴器売りのセールスマンなど、耳にまつわる仕事をしている人たちが登場する。耳の中には美しい音楽を奏でるカルテットや、補聴器売りのペットのドウケツエビが棲んでいる。高齢者向け住宅で介護助手のアルバイトをしている女子大学生と補聴器のセールスマンは、その敷地内の人工池でひっそりと会う。水に浮かべたボートの中で、女子学生は、セールスマンの耳の中のカルテットの演奏を聞きたいという。二人は耳を近づけあい、密着させる・・・。ただそれだけのことなのに、その描写の官能的なことといったら。

狭い場所にこもって、外に出られない魂の物語。それが小川洋子の物語にはよく登場する。小さな箱の中でチェスをプレイし続ける人や、屋敷にずっと閉じ込められている人。そして今回は、ついに、耳の中にまで。それが冗談やばかげた話ではなく、しみじみと胸にしみる美しい物語となって立ち現れることに、私は驚愕する。その小さな場所は、何と深く広く美しいことだろう。