英国児童文学の舞台を訪ねて

英国児童文学の舞台を訪ねて

94 池田正孝 東京子ども図書館

夫が趣味を通じた友人から紹介してもらった本。趣味というのは読書とは全く関係のないジャンルなのだが、そこで交流しているうちに、どちらも児童文学が好きであるということが判明したという。夫は子供時代からランサムなどを読みふけった人であるが、そのご友人は大人になってから知ったという。「いいなあ、これから読める本がたくさんあって。」とうらやましがる夫である。

というわけで、この本では英国児童文学の舞台を訪ねて歩いた旅の記録やエピソードで成り立っている。実はこれは続編で、前編は本書刊行の二年前に出されている。本当はもっと厚くなるはずだったのだが、著者が急逝されたため、120ページほどのサイズとなった。

あとがきで、ドリトル先生について書かれているのも胸にしみる。「ドリトル先生航海記」で異人の王子ボンバの描き方が人種差別的だと今では批判されている。確かに現代では許されない表現、内容が含まれてはいるが、それをもって「ドリトル先生」すべての価値を否定されるのは当を得ていない、と彼は言う。どんな文学も時代のくびきからは自由ではないので、後世に批判されるべきは批判されて当然ではあろう。が、そもそも、動物とも対等に話し合いたいというドリトル先生の姿勢は、まさしく、どんな相手であっても尊重すべきであるという精神の表れだということも、見逃してはいけない。著者は戦争中にドリトル先生を読むことで、人間と動物が話し合えるのに、なぜ日本人は敵国英米人と話し合って戦争を止めることができないのだろうという疑問に達したという。

子どもが本を読むことで、自分の頭で考え、ある種の真理に到達する。それこそが読書というものであり、自由というものである。私も、本を読むことで、周囲の大人たちの誰も教えてくれなかったことにたくさん気が付いた。本を頼りに、一人でいくつかの真実にたどり着いたという実感を持ちながら、子ども時代の読書の時間を過ごした。それを改めて思い出させてくれるあとがきであった。

この本で紹介されているのは、アラン・ガーナー、ローズマリ・サトクリフ、アーサー・ランサム、ウイリアム・メイン、フィリパ・ピアス、ジル・ペイトン・ウォルシュなどの、英国児童文学の舞台である。物語にはモデルがあり、その場所を訪ねることで、物語世界はより一層リアルに立ち上がってくる。

とはいえ、私は子供時代にそれほど熱心に英国児童文学を読んではいない。北欧と日本にとらわれてしまって、広がらなかったので、大学に入ってから改めて英国児童文学と出会ったようなものである。とても印象深い物語もあれば、確か読んだはずなのに、覚えていないなあ…というものもあった。逆に言えば、物語の舞台の写真を見て、改めて読みたい、読み返したい本の題名がいくつもあったともいえる。

というわけで、この後、この本の前編を読んだので、そっちの話もいずれ書きます。

カテゴリー

サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

関連記事