128 長山靖生 光文社新書
「一度きりの大泉の話」以来、萩尾望都を何冊か読み返したりしている。この本は、彼女の大ファンであるまんが評論家(であり、歯科医でもあるんですって。)が彼女につい語った本である。私としては、「一度きりの・・」後に、本人ではない人間が外側からもう一度見直した本書を読むことで、なんとなくモヤモヤしていた部分がすっきりした感があった。
萩尾望都は偉大である。と書いてしまえば、それがすべてのような気もする。非常に文学的な作品が多いのだが、漫画評論を文学という別のジャンルの言葉で語るのは失礼だという意識がまんが評論家のなかにはあって(中島梓や橋本治など)、その文学性を言葉を尽くして語ろうという試みがたくさん行われてきた、そうである。
私自身は萩尾望都に関しては遅れてきた読者であって、漫画好きの友人に勧められて半ば強制的に読まされたのが出会いであったし、その後も最も好きな作家というわけでもなかった。が、この歳になって読み返すと、彼女のすごさには圧倒される。気が付くのが遅いよ!と我ながら思う。
ジェンダー、多様性、親子関係。現代社会において大きな問題でありながら、まだ十分に意識改革が行われていない分野に対して萩尾望都は初期から先進的であった。SFや音楽といった分野にも造詣が深かった。時代を追って彼女の作品群を開設されると、それがよくわかる。と言っても、私には未読の作品が多い。おお、これから読まねば!!
両親はマンガなどというものに携わるな、と彼女に強く求めていたらしい。作家として地位を確立した後でさえ、やめてくれ、と言われ続けていたそうである。ヤマザキマリでさえ、純粋芸術画を志向する親との間に対立があり、さいとう・たかをすら、親は生涯彼のマンガを読もうとしなかったという。そう、マンガとはそういうものであった。私も親からマンガ禁止を言い渡され、友達の家でこっそり夢中で読みふけったものであった。私の母は、ママ友が子供に歴史学習のため歴史漫画を買い与えたという話を聞いて「この人はなんとくだらない人なんだろう」と思ったとごく最近、私に語ったほどである。
そんな低い地位にあった漫画を、日本文化の誇りの一つという地位に持ち上げたのは、もちろん手塚治虫をはじめとする優れたマンガ家たちであるが、その中でも萩尾望都の果たした役割は大きい。彼女の作品を多くの子どもたちだけでなく、文学者、評論家、学者たちが認め、喜び、愛したことが、この本から改めてわかる。