虚業成れりー「呼び屋」神彰の生涯

虚業成れりー「呼び屋」神彰の生涯

121 大島幹雄 岩波書店

「ルコネサンス」に登場した、有吉佐和子の元夫にして有吉玉青の父、神彰の生涯を追った本。日本の敗戦から高度成長期にかけて、ドン・コザック合唱団、ボリショイバレエ、レニングラード・フィルなどを招聘し、大公演を打ってセンセーションを巻き起こした人物である。

函館生まれの神は、青年期に哈爾濱(ハルピン)に渡り、曲がりなりにもロシア語ができたし、ロシア人とのかかわりもあった。敗戦後、画家を目指しながらも芽の出ない状態から、ドン・コザック合唱団を呼ぼうと思い立ってあらゆる手をつくし、満州時代の仲間の手を借りながら、ついに成功する。そこから彼の「呼び屋」人生が始まる。

興業の世界は博打のようなものである。当たれば大儲けだが、不入りだと大赤字。神は、多くの興業を成功させたが、ついには失敗を重ね、仲間からも手を切られ、倒産する。まるでストーカーのように追い続け、ほかの人との婚約を破棄させてまで結婚した有吉佐和子とも、倒産を機に離婚する。

紆余曲折の果てに、今度は居酒屋「北の家族」のオーナーとして再出発、成功を収めるが、病を得て事業を手放し、最後は鎌倉山で静かな生活を送り、亡くなる。晩年は、まさしく「ルコネサンス」そのままの生活であった。

米ソ冷戦の時代にソ連から合唱団やバレエ団を呼ぶのは、実はとても困難なことだったのだと知った。今や世界中からさまざまな楽団やアーティストが来日し、それが当たり前のように思っていたが、敗戦後の混乱期、海外から豊かな芸術を得るのは大仕事であったし、また、だからこそ、成功した時の人々の熱狂もただ事ではなかった。

当時は一ドルが360円の時代で、招聘アーティストに外貨で謝礼を支払おうとすると、ドルの入手が困難となり、一ドル400円もそれ以上もするような闇ドルをかき集めて支払うしかなく、また、それは法に触れる行為でもあった。神はその問題に対処するために政治家に近寄り、多額の政治献金を行う代わりに財団法人の地位を得たり、お目こぼしを受けたりしていたという。池田内閣を誕生させた一端は俺にある、とまで言っていたらしい。なんだかなあ。その昔、美空ひばりの興業は暴力団が請け負っていたというし、きな臭い世界でもあるのだと改めて思う。

それにしても、浮き沈みの多い、波乱に富んだ人生であった。こんな人がいたのだなあ。