表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

2021年7月24日

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「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

若林正恭 KADOKAWA

私は不まじめな「リトル・トゥース」である。という文章を見て、ああ、と思った人はいるだろうか。「リトル・トゥース」とは、オードリーのオールナイトニッポンのリスナーのことである。私の好きなコラムニスト、中野翠さんはリトル・トゥースであることを公表している。私自身は、たまにしか聞かない不まじめなリトル・トゥースなのだが。

オードリーというコンビを知ったのは2008年のM-1グランプリだ。敗者復活枠からとんでもないコンビが出てきたのに驚いた。当時は春日のキャラがすごすぎて、若林は霞んでいた。が、時が経つにつれ、若林のこじれたナイーブな知性に感じ入るに至った。

以前、たしか彼の「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を読んだことがあるように記憶しているのだが、このブログを検索しても出てこない。書き落としているのかなあ。それとも、雑誌連載をずっと読んでいたので、書籍化したものは読んでないのだろうか。せっかく記録のためのブログなのに、自分で自分が信用できないなんて・・・。

それはともかく、若林の書く文章を読むようになって驚いた。人見知りで、世をすねて、誰も信用していないこじれた奴だとばかり思っていたのが、意外に深く、鋭いのである。司会のシーンで見せる瞬発力には、蓄積された知識と思考の基盤があったのだ。

で、この本である。人見知りで、ひとりじゃ何もできなそうな彼が、キューバに一人旅をする話である。夏休みが五日間取れたので、航空券とホテルをネット予約して、キューバに飛び立っちゃったのである。

最近、彼は東大大学院生の家庭教師に習っているという。「格差社会ってなに?」「ブラック企業ってなんであるの?」「なぜ交際相手にスペックという言葉が使われるの?」などという質問に、教師は、まず世界史の教科書の産業革命以後、経済学入門に、日本史の教科書の戦後を読め、と司令したという。そこから、彼は新自由主義という概念に突き当たり、自分の二十代以降の悩みが、宇宙や生命の根源に関わるものというよりは、人間が作ったシステムの一枠組みの中ででの悩みに過ぎなかったことに気がつく。

・・・このあたりは、非常に青春チックというか、覚えがあるというか。学ぶということが、実は自分のちっぽけな悩みを客観的に捉え直すための大きな力になるということを、改めて思い出して笑ってしまう。よく分かるよ、その流れ。と思うのだ。

「先生、知ることは動揺を鎮めるね!」
「若林さん、学ぶことの意味はほとんどそれです。」
  (引用は「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」若林正恭より)

で、そこから、彼は、違うシステムで動いている国、キューバにいきなり飛んで行くのだ。以後が本文であり、キューバ旅行記なのだが、旅行に至る前段と、そして、意外な結末に、私はむしろ心打たれる。旅に出た、彼の本当の心というものが、いきなりむき出しになる最後の章は美しい。

四、五年前、私は娘の高校受験のため私学合同相談会に行って、そこで若林と春日の母校のブースにも立ち寄った。どんな学校なのかを説明していた教師がいきなり声を潜めて「大きな声じゃ言えませんが、オードリーの二人も卒業生なんですよ」と言った。「それは、声を潜めて言わなきゃいけないようなことなんでしょうか」と問うと、「ええ、まあ。いろいろな伝説が残っていますからねえ」と彼は苦笑した。彼らは、学校にとっては、困った生徒であったらしい。留年を土下座でクリアしたエピソードがこの本にも載っていたしね。

そんな彼が、おじさんとなったいま、自発的に勉強してますよ、先生。と、ちょっと教えてあげたくなる。まあ、それが何になる、と言えばそれまでなんだけれどね。

良い本であった。

2017/8/1