138 川添愛 東京大学出版会
「AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」という副題をもつ一巻目に続く第2ラウンドである。今回の副題は「言語版SASUKEに挑む」だ。
作者は言語学者。東京大学出版会のPR誌「UP」連載の12回分に書き下ろし三つが収録されている。校正をテーマとした「ことばの番人」とテーマが近いので、読む順番としてはなかなか良かった。
ここ数年、海外に頻繁に行くようになったのだが、いつも感じるのは言葉のすごみである。外国に行くと、こちらには全くちんぷんかんぷんの言葉をまくしたてる人に大量に会う。でも、彼らはでたらめを言っているのではない。発している言葉全てには何らかの意味がこめられ、彼らの中にある思いや意思がそこに乗せられている。逆に言えば、人の心に次々と浮かぶ思念、情念のすべてに対応する言語が存在しているということだ。人間の考えなんて常にあっちこっちに飛び、それこそ下らないことから高尚なことまで、些細なことから重要なことまで、とんでもなく大量の感情や意思や論理やものごとが湧き上がっては消え、湧き上がっては消えしているのに、それらすべてに対応する言葉が定められている。それってすごくない?といつも思う。小さな子どもから、色っぽいお姉ちゃんから、ふがふが言ってるおじいさんまで、どんな人も、疑うことなく言葉で考え、言葉をしゃべっている。しかも、国によったり民族によったりして全然違う体系の、全然違う発声の言葉が、それはもう数えきれないほど大量にこの世に存在している。‥‥ということを、この私は日本語という言語で考え、表現する。その事実に圧倒される。
そういう言語について分析研究し、理屈をこね、ちょいとお茶らけながら書かれているのがこの本である。題名でわかるとおり、作者はプロレスファンであるため、プロレスに話題に傾く度合いが大きいのがたまに邪魔ではあるが、それ以外にもお笑いやSASUKEのようなスポーツバラエティ、映画にコントにAI、その他さまざまな要素が入れ込まれていて、結構笑える内容になっている。
たとえば、倒置法の章である。プロレス好きの作者は、アントニオ猪木と藤波辰爾の「やれるのか、お前、本当に」「やりますよ、もっと信用してください、俺のこと」というやり取りが生み出す迫力を示している。が、それよりも私は「浪花節だよ人生は」や「飾りじゃないのよ涙は」が、もし「人生は浪花節だよ」や「涙は飾りじゃないのよ」だったらほとんどヒットしなかっただろうという指摘に感心する。
副題にもなっている言語版SASUKEが、実際にはどのように競技が行われるかが書かれていたのだが、たぶん私は第一ステージで敗退する。これをクリアできるかどうか、言語に自信のある人は、ぜひぜひトライしてみてほしい。