証し 日本のキリスト者

証し 日本のキリスト者

95 最相葉月 角川書店

最相葉月なら読みたいと思って、不見転で図書館に予約した本。旅から帰ったらこれが待っていて、なんと暑さが5.5cmもあった。物理的にも、内容的にも重い本であった。二週間かけて読んだ。

2020年の統計によれば、日本のキリスト者は191万5294人。人口の約1.5%である。そうか、1.5%かと改めて感慨を持つのは、私自身がキリスト者の両親を持つ子どもだからである。私はマイノリティの家庭に育ったのだ。

一方で、日本には多数のミッションスクールや、キリスト教系の医療、福祉施設が多く、結婚式を教会で挙げる人も少なくない。クリスマスのようなキリスト教に基づく行事も文化的に根付いている。キリスト教は親しみのある宗教として社会に広く薄く受け入れられている。親しんではいるが、信仰はしていない人が大多数のこの国で生きる1%強のキリスト者たちがどんな人たちなのか。それを知るために、作者は2016年から6年間、日本中の教会やキリスト教関連の人々を訪ね歩いた。会った相手は、取材が叶わなかった人も含めれば、数千人に上るという。その中の135人の半生がこの本に描かれている。

転勤族の子だった私は、二、三年ごとに転校を繰り返した。その結果、どこに行っても私はよそ者であった。幼いころから「周囲とはどこか違う私」を意識せずには生きて行けなかった。それは、もしかしたら転校生だからだけではなく、キリスト者の家庭に育ったことも原因のひとつだったのかもしれない、と大人になってから私は気づいた。よそのご家庭でごく普通に行われているお彼岸やお盆のお墓参りのような行事も、お坊さんを呼んで行われる法事も、お正月の初詣も、仏壇に手を合わせるという行為も、一度も出会うことなく私は大人になったのだ。

私の家庭生活の価値基準には神がいた。四六時中祈りをささげるとかではなく、日曜日に教会に行く程度のことではあったのだが。例えば「主の祈り」を暗記させられ、その言葉を別の言葉に言い換えるパロディめいた遊びをするとこっぴどく叱られた。神さまという言葉を冗談や遊び半分に使うと強く叱責された。何が正しいかは神が決めることであり、どんな時でも神様は見てらっしゃる、と教えられた。いけないこと、悪いことをしたら慌ててお祈りをして神様に謝らなければいけない、と刷り込まれていたし、寝る前にお祈りをする習慣もあった。たぶん、中学生の中ごろまでは。

思春期になって自分なりにものを考えるようになり、また、その頃からたくさんの本を読むことを覚えた。世の中には多種多様の価値観が存在することを知った。親や教会学校の先生から教えられたことに矛盾を見つけたり、疑問を持つことも多くなった。だが、それを質問することははばかられた。神を疑うことは罪である。思い切って質問しようものなら呆れられたり叱られたりするだけであり、そういった無駄なことをしたいとも思わなかった。ただ、私のなかで静かに思考は進み、深まり、徐々に私はキリスト教から離れて行った。教会にも行かなくなったし、祈りの習慣も捨て去った。両親は、そんな私に強く何かを言うわけではなかった。幼児洗礼も受けさせられていなかった。今思うと、両親は、私たち子どもの精神生活にはほぼ興味がなかったのだと思う。まあ、そのおかげで私は自分なりの選択がある程度はできたということである。

一般的な子どもと私が違っていたのは、ごく幼い頃に神様がいると教えられて以来、その存在についていつも意識し続けていたということだと思う。神さまは見ている、祈るべきである、というところから出発した私は、それは本当だろうか、私は自分をどんな位置に置けばいいのか、という問題に突き当たった。友達が「そんなことをしたらばちが当たるよ」などと言うと、この人はいったい誰がどのように罰を与えると想定しているんだろうかと不思議に思った。神社で習慣的に手を合わせて頭を下げ、それを意識すらしていないような多くの人々の様子を見ては、いったいこれはどうしたことだろうと思ったりもした。皆が全く気にもとめていないようなことが、私には大問題だった。

私にとっては、宗教の問題は、親離れの問題と等質のものとして意識された。本当はそのふたつは全く別の問題だったことが、今の私にはわかる。だが、思春期の私の内部では、それらは入り組んで分解不可能なものとなっていた。親は絶対的ではなく、時に間違うこともあり、時に否定しても構わない存在であると腑に落ちた頃に、神もまた、私の内部では力を失っていた。宗教に対する敬意は感じたし、宗教に人生を捧げる人への信頼感も持ってはいたが、私自身は信仰をもつことはないだろうと考えた。キリスト教だけでなく、あらゆる宗教に対する等しい敬意と尊重だけが残った。

というような経緯があって、この本を読むと、何か非常に親しい感覚がある。ここに登場する人たちは皆それぞれに違っていて、信じている宗派(キリスト教にも様々な宗派が存在する。たとえば、カソリックやプロテスタント、ロシア正教、それに、無教会主義や救世軍などなど。)もさまざまである。信仰に至った経緯も、その半生も、穏やかで恵まれた生活から、信じられないほどひどく虐げられ、苦しい思いを乗り越えてきた人まで多種多様である。ではありながら、その人たちひとりひとりと、どこかで会ったことがあるかように私には感じられた。神という存在と向き合う時間を過ごしてきた人たちの気持ちが、なんだかわかる気がしたし、子どものころから教会などで出会ってきた人たち、我が家に出入りした信者の人たちと同じ空気をまとっているようにも感じられた。

キリスト者だから高潔で立派な人間であるということはない。教会内部では様々な人間関係があるし、もっと大きな社会問題に対しても対立がある。例えば返還前の小笠原の教会では、パールハーバーや原爆投下についての考え方がアメリカ側の立場に寄せられて批判することが出来なかったことが本書でも語られている。今も、ウクライナとロシアの戦争に対して、ロシア正教が混乱したり、意見が対立したりもしているという。些末なことを言えば、我が家でも両親が教会内部の人間関係について批判的なことを言ったり、腹を立てて悪口を言っているのをよく聞いた。牧師がどうにも気に入らなくて、別の教会に移籍することもあった。教会では女性信者だけが掃除や食事の準備、給仕などを当然のように任されていることにも私は疑問を持っていた。宗教のなかにあっても、人は社会と同じように矛盾を抱えて存在し、常に許し合ったり助け合ったりするとは限らないのであった。

宗教は結局、社会を平和に導くことなどできないのだろう。敵に勝てますように、と宗教者は自国の礼拝で祈りつづけてきたし、宗教が他の宗教を弾圧し続けてきた。宗教は、個人の生き方を支えるかもしれないけれど、それが平和につながる特効薬になることはない。ただ、それを信じる人たちは、皆、神と対峙する時間を持ち、ありのままの自分が大いなるものに見られている、知られているという感覚を持っている。そこには嘘をつく隙間がない。少なくとも神の前では、どうしても嘘をつくことができないという感覚を持つ。そのことに対して、私は敬意を感じる。それはずっと変わらない。

90歳を超えた老母は、毎週礼拝を欠かさない。コロナ禍以降、教会はオンライン礼拝を実施している。機械操作の苦手な母が、ガラケーとスピーカーをつなげてなんとか牧師の説教を聞き、祈りをささげている。月に一回はタクシーを呼んで、よろよろと教会まで出向き、補聴器をつけてもなおよく聞き取れない説教を聞き、信者と交わりを持っている。孤独なひとり暮らしの母に教会があったことを、私はとてもありがたいと思っている。そこに行けば喜んで迎えてくれる人たちがいて、大切にしてくれる。そう感じられる場所があることが、母にとってどんなに大事なことだろうと思う。私はきっとそういう場所をもつことはない。

キリスト者だけでなく、あらゆる宗教は信者が減少し続け、老齢化が進んでいる。わたし自身が宗教からの撤退者であるから、まあ、そうだろうなあとは思う。これから宗教はどうなるのか。キリスト教信仰はどう変わってくのか。母の通う教会の牧師も悩んでいるようである。

最相葉月も、幼稚園からのミッションスクール育ちのようだが、特に信者ではない。なぜこの本を書こうと思ったのだろう。なんにせよ、確かにある種の人たちの生き方がずっしりと伝わってくる本ではあった。