118 谷川俊太郎 集英社
故・谷川俊太郎氏の単行詩集に未収録の作品で編まれた詩集。生前の谷川氏と編集者の佐藤一郎氏との間で刊行準備が進められていたが、お二人とも急逝されたため詳細が不明なものがあるという。ご存じの方がいらしたら編集部までご一報を、と最後に書かれている。お二人ともにとって、まさしく最後の詩集だったのだ。
収録された詩は、谷川氏が高校生の頃から、わかっているだけでも2014年の作品にまで及んでいる。初出年月日を確認しなくても、老年に達されてからの作品はなんとなくそれと判ったりして、それも興味深い。たぶん、私も年を重ねて、老いるということがどういうことかようやくわかってきたからかもしれない。
印象に残った一説。
きみはこども
ぼくはおとな
きみはちいさい
ぼくはおおきい
でもおなじ
いのちのおもさ
(「こどもとおとな」谷川俊太郎 より 2015)
谷川氏らしい表現なのだが、これを読んだとき、私は子どもを初めて授かった時のずっしりとした気持ちを思い出した。小さくて軽くて弱くて危なげに見えるこの子は私の子どもだけれど、私の所有物ではないし、私が支配できる命でもなく、確かに確固とした一人の人なのだ。その気づきと覚悟ととまどいが入り混じったような思い。この一説を読んだら、それがいきなり蘇ってきて我ながらうろたえてしまった。こんな簡潔な言葉で、これだけの気持ちを表せてしまうことに感服する。
もう一つは「畑にて」という作品。
泥んこの中から生えてきて
なんで大根はあんなに白いんだと言ったら
土の下から人参が私は赤いよとのたまう
そばでアスパラはほんのり薄緑
日の光はもちろんお喋りなんかしない
(「畑にて』谷川俊太郎より 2001 )
そこから始まって、アスパラをつまむ人間が原子レベルでは共食いだと言ったり、人生は意味においては不可解でも味わいにおいては泣きたいような美味しさだと言ったりした後、大根も元をただせばビッグバンからうまれ、何やかや枝分かれして今やわれらは人間だと書く。
このイメージの豊かさ、広さ、ふくらみ。この人はどこまでも自由で軽やかで、でも深いのだ。
谷川俊太郎の詩は好きで、ずいぶん読んできた。詩集もたくさん持っている。それぞれに味わいがあるし、どれも谷川さんらしいなあと思うが、これを読み返して改めてその素晴らしさを思う。谷川俊太郎という詩人と同じ時代を生きられたことの幸せを思う。
