149 高野秀行 集英社インターナショナル
高野さんは、新刊が出たら即買い作家のひとりである。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」のがモットーの人。しばらく納豆本ばかり出していたので「今度はどこの国の納豆の話ですか?」と聞かれたそうだが、これは、納豆ではなく、語学の本である。
学生時代から現在に至るまで、25を超える言語を習い、実際に現地で使ってきたという。というと語学の天才みたいに聞こえるが実際は全然そんなことはなく、ただ、現地の言葉を覚え、使うことでその地を深く理解でき、かつその場のウケがよく、結果、探検もうまくいく。そして、その探検が終われば、速やかにその言葉を忘れてしまい、また振出しに戻る。ということらしい。
とはいえ、それにしても25もの言語を覚え、実際に使うということは常人にはなかなか成し得ない。高野氏の不思議で面白いところは、実はものすごいことをやっているはずなのに、本人としては、いつも情けなく、うまくいかず、ボロボロのまま何とかその場を切り抜けてきている自覚があるようだ。ほんとはすごい人なんだけどなー。
言語の形成は生物の進化に似ている、という指摘は非常に興味深かった。日本語という言語は孤独な存在だということも感じた。幕末に戊辰戦争後の取り調べで薩摩藩の人間が会津藩の人間を取り調べるのに言葉が通じなくて難儀したという逸話を思い出す。こんな小さな島国でも地域によって言葉は変化する。それが大陸で大規模に起きた結果、フランス語や英語やスペイン語なんかができたのだとしたら、そりゃあ多少に通ってるだろうし、言語習得も楽だよねー、と思う。
本書冒頭部分に高野氏が若い頃に思いがけずにマザーテレサに出会ったエピソードがある。もう他の本で何度も読んだはずの逸話だが、実に生き生きとして面白い。この人の人生は、こういった思いがけない面白い話にあふれているのだなあ。
語学は魔法のようなものである、と高野氏は言う。確かに、言葉ができるだけで、その地を旅することができるだけでなく、人とすんなり仲良くもなれるし、分かり合える。堪能になる必要はなく、片言でもいい。そこから人とかかわりあっていくことができるのだ。とわかっちゃいるんだけどねー。なかなか外国語を覚えるのは難しいよね。私も、英語にドイツ語に、デンマーク語までかじったことはあるんだが、もはやどれもほとんど忘れている。英語だってそこらへんの中学生よりひどいかも。
年を取るにつれて語学の取得は難しくなる、と高野氏も書いている、あーあ、もう駄目なのかなあ・・・。