6 小田嶋隆 亜紀書房
昨年六月に病気で亡くなった小田嶋隆のエッセイ。定年を迎えた男たちがどこに身を置き、何をし、どんな心持ちで居ればいいのかを身をもって実現してみた、わりにトホホなエッセイである。まずはそば打ちをしたり、ギターを練習してみたり、ジムに申し込んだり、断捨離を試みたりするも、うまくいくことはあまりない。挙句の果てに同窓会に出席して退屈したり、終活してみたり、なんと政治家を志したり。そんなこんなしているうちに、小田嶋氏、病を得て何度も入院をする羽目になる。そして、最後には「がん」での死に方に思いを巡らせるに至る。このあたりは、実はまさしく身をもって、の出来事と重なっていたのだろうな、と今となっては想像するばかりである。
がんで死ぬことは、特急券を確保することに似ている。
途中の駅をすっ飛ばして、確実に目的地(←終着駅と呼ぶべきでしょうね、むしろ)に到着できるだけでない。特急列車に乗った人間は、その車中で、通勤電車の乗車中には見ることもなかった景色を、終着駅まで意識的に眺めることができる。それは幸運なことだ。
(引用は「諦念後」小田嶋隆 より)
小田嶋氏が出演していた「たまむすび」というラジオ番組に寄せた最後のメッセージで彼は「まるで小学校を卒業するような晴れがましい気分」と書いていた。幸運、晴れがましい気分。彼にとっての病死は、必ずしもネガティブなものばかりではなかったのかもしれない。いや、そんなわけはないだろ、と言われそうだけれど、でも、長きにわたってアルコール依存症を克服してきた彼にとっては、生きるということは過程であり経過であり、いつか終着駅に無事に到着することが一つの目標となっていたのではないか、と考えられる部分もある。
小田嶋氏は私よりは年上ではあるが、彼の心境はわからんでもない。土壇場になれば大騒ぎするだろうが、私にとっても死はそれほど恐れるべきものではなくなっているような気がする。私が恐れるのは、自分の死よりも家族、夫や子のそれである。それに比したら自分のことなどまだまだ軽い。とはいえ、老母が生きている間は先んじるわけにはいかないと肝に銘じはしている。
男の老後、と書いてはあるが、女だって同じだよなあ、とは思う。とはいえ、生活するという面においてはやはり女性のほうが長けている側面はあるのかもしれんよなあ。