138 松下竜一 講談社
モトムラタツヒコさんがTwitter(とは言わないのか、最近は)で取り上げていたのに興味を持って読んでみた。松下竜一という名は何となく聞いたことがあった。小説家、ノンフィクション作家、環境運動家。宇井純の影響を受けたこともあるという。私は宇井さんの自主講座「公害原論」を学生時代に聞きに行ったことがある。その関係で名前を耳にしていたのかもしれない。
この本の副題は「ある青春の記録」。松下氏が三十歳の一年間の手記である。彼は小さな豆腐屋を営む青年で、19歳の若い妻を迎えたばかりである。生まれたときから病弱で、家は貧しく、母は亡くなり、後添いの継母とはうまくいかず追い出すような形となり、本当は行きたかった大学も諦め、一度は自死を決意したことすらある。そんな彼が、日々、豆腐を作り、売り、その合間に和歌を詠み、万葉集を勉強し、文章を書き、父と妻と家庭を営む。朝早くから休む間もなく働いても大きな利益も出ない仕事、時にうまくいかない豆腐作り。その中で詠む短歌が朝日歌壇に取り上げられたり、地元の新聞に記事が載せられたりもする。遠くで暮らす弟たちを心配し、あるいは彼を訪ねてきたという古き直木賞作家を歓待し、それが実は詐欺であると途中で気づきつつも弁当を持たせて送り出したりという事件も起きる。
詠まれる歌は素朴で真摯で誠実である。彼の人となりがあらわれるような歌である。
生きて来し苦労に荒るる掌を持てど老父の造る豆腐美し
あぶらげを揚げ継ぎ噎せて幾度びか深夜の雪を掴み来て食ぶ
生まれん子に良き名やるべし思いつつ働く深夜いつか笑みおり
選挙前に父と話し合う。彼は戦争放棄、非武装中立を信念とするのだが、父は、もしどこかが攻めてきたらどうするのだ、豆腐の原料の大豆はアメリカから来るのに、アメリカの機嫌を損ねるわけにはいかないと主張する。父を説得できない自分を彼は情けなく思い、それを新聞に投書したりもする。
そんな彼だが、20歳になった妻にはこんな風に対している。
私はこの春から、妻がテレビを観ることを原則的に禁じた。悲劇のドラマを観終えたと思うと、もう寸暇もなく次の喜劇が始まって笑っている。そんな狂気めいた愚劣さを変えるがいい。それがテレビ麻痺の人々の夜なのだ。
私の禁を、妻は守っている。そんないじらしい妻を寂しがらせてはならぬ。私は夜を、できるだけ妻と語り合おうとする。読書していても、書いていても、必ず幾度となく顔をあげて話しかける。テレビを拒絶することで、夫婦の愛がより深むのでなければ意味はないのだ。
(引用は「豆腐屋の四季」内「テレビを禁ず」より)
街に出て、妻がウインドウの指輪の前に立ちどまって覗きこんでいる。私は気づかぬふりをして先に行く。妻は指輪をほしがっているのだ。妻には一個の指輪もない。婚約指輪すら、私は買ってやらなかった。あんなものに金をかける愚劣さがたまらないのだ。あんなもの一個が、何で愛の証しになるものか。
私たちが婚約した日、私の姉が、母の形見の指輪を洋子にゆずった。しかし、それは古風な緑色の玉の指輪で、若い洋子の指に飾れるようなものではなく、母の大事な形見としてしまわれたままになっている。一度、靴か何かを買ったおまけに安物の指輪を貰い、それを妻は結構よろこんで指にして帰ってきたが、私に叱られてあきらめてしまった。私は決して妻の指に指輪など許さないだろう。
(引用は「豆腐屋の四季」内「指輪」より)
父の投票という行動に対しては説得しても諦める松下竜一が、妻に対しては、テレビを「禁じ」、指輪を「許さない」。つまり、妻の行動は自分の判断に支配されるものであると頭から信じている。時代性もあるのだろうが、人を尊重し、愛し、弱い者に温かい目を向けるはずの彼が、なぜ、妻に対してはこんな態度をとって何の疑問も持たないのだろう、と私は不思議でならない。まだ中学生のころに見初めて以来、ずっと成長を見守り、ついに結婚にこぎつけた最愛の妻だという。その妻が、テレビが見たいのかどうかを話し合いもせずるに禁じる、指輪に至っては、欲しがっているのを知りながら気づかぬふりをし、せっかくもらってきたものまでを叱って許さない。それが愛だと信じているのだろうか。
妻がそれでいいと思っているならいいではないか、そういう夫婦もある、そんな些細なことで、と考えることもできるかもしれない。が、私は引っかかる。そして、そんなことに引っかかるという事実を忘れたくない。子ども時代、父に好きなテレビを観ることを禁じられ、そのせいでクラスで旧友と話が出来なかった悲しさを私は覚えている。安い指輪ひとつで心が温まる若い頃の嬉しさを、私は知っている。それは、頭ごなしに否定されていいことではない。妻は夫の従属物ではない。夫は妻の支配者ではない。
弱い者、虐げられる者に眼をやり、自分にできることを精一杯行う人生を生きたはずの松下氏である。この本は若い日に書かれたものだ。ここから彼はどう変わって行ったのだろう。それを知りたいと思う。伊藤野枝の生涯を彼は本に書いたという。あの、何ものにも負けない、自分を貫いた伊藤野枝という女性を描いたのなら、自分の妻の思いも尊重したいと思うに至ったのであろうか。それを知るためにも、松下竜一をもう少し読みたい。そう思った。