94 ブレイディみかこ 中央公論新社
久しぶりのブレイディみかこである。2021年から2024年まで婦人公論に連載されたエッセイに加筆修正したものが収録されている。まだコロナ禍のさなかのイギリスの様子が描かれている。みかこさんはイギリスはブライトン在住である。日本も大変だったが、イギリスも大変であった。世界中が大混乱だったものなあ。それにしても、あの日々がなぜこんなに遠く感じるのだろう。
「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」の彼も大きくなった。カレッジに入ったという。よその子どもはすぐ大きくなる(笑)。みかこさんのお母様は福岡で末期がんを患い、ホスピスに入って、そして亡くなった。みかこさんのお連合いは肺がんになり、入院先でコロナに罹患し、一時は覚悟しろとまで言われたが、無事生還した。それぞれに困難が続いていたのだ。
大変なことはある。でも、人は助け合う。入院中の夫に面会するにはコロナ検査が必要だ。だが、検査キットがどこにもない。町中を探し回り、最後に病院の薬局に駆け込む。がんで入院中の身内に会うために検査が必要だというと、コミュニティセンターの住所をメモしてくれる。そこへ行くと、検査キットが10個、おいてある。「あなたが来るかもしれないと電話があったので準備しておきました」という職員は、病院の薬剤師の妹であった。
イギリスのクリスマス、多くの人はディケンズの「クリスマスキャロル」の精神に立ち戻る。ホームレス・シェルターにはミンスパイの寄付が次々に届き、イブ当日は激安の七面鳥を提供するパブもある。日本には慈善を偽善という人がいる、という彼女に「それは施す側の論理です。一人でもあなたの行為を受けて助かる人がいれば、それは善です。」と保育士の女性は言う。
イギリスも移民が多く、下町は国際色豊かである。様々な肌、様々な言語の人々がそれぞれに話し合い、笑い合い、助け合う。そうだ、人は助け合う。私は、ベルゲンの街角で「何を困ってるんですか」と尋ねてくれた人を忘れない。ベニスの鐘楼で、鐘の音に驚いて一緒に笑いあったおばさんを忘れない。オスロの公園で、怒りんぼの子どもの像を囲んでいた各国の老若男女のとろけるような笑顔を忘れない。台湾で、両替場所のわからない私たちのために遠くのデパートまで案内してくれた青年を忘れない。世界中のどんな場所でも、親切な人はいて、助け合う。分かり合う。彼女のエッセイを読みながら、私はそれを何度も確認する、確信する。
人間は、支え合って生きるものだ。誤解や無理解や理不尽はどこにでもある。けれど、それらを超えて私たちは助け合う、分かり合う。拒否し、排除し、排斥しても何も残らない。信じあい、支え合う勇気を。そんな風に思う読後感であった。
