鎮魂戦艦大和

鎮魂戦艦大和

124 吉田満 講談社

亡き父の書棚を整理していて見つけた本。昭和49年発行であった。内田樹の「困難な成熟」の「日本人が読むべき本七選」にこれが入っていたのと、あと、これはうろ覚えで、今、手元に本がないので確かめられないのだが、確か「村田喜代子の本よみ講座」で取り上げられていたような記憶がある。前から読まなければと思いながら手に入れられずにいた本が、思いがけずに実家にあったとは…と持ち帰って、しかし、長いことそのまま積んであったのであった。

昭和20年4月、片道分の燃料しか積まずに特攻出撃した戦艦大和。不沈戦艦と世界にその勇名を轟かせた大和は、凄惨な攻防の末、沈没した。その最後を見届けながら、奇跡的に助かった著者。本書には三篇の作品が掲載されているが、その最後の「戦艦大和ノ最期」は終戦直後にほとんど一日で書かれたものである。占領軍の検閲に妨げられ、昭和24年、作者にとって不本意な形で口語体で初版が出版され、講和条約発効の昭和27年、初めて本来の内容をもって発刊、さらに二十余年を経て増補修正が行われ、決定稿として出版されたものが本書である。

「戦艦大和ノ最期」が戦争肯定の文学であり軍国精神鼓吹の小説であるという批判がかなり強くあったという。それに対して作者は

「戦艦大和ノ最期」の前に収録されている二稿「白淵大尉の場合」「祖国と敵国の間」は、戦艦大和に共に乗船した戦友の生涯を描いたものである。この二編は、上述の自戒の言葉に些か報いるための仕事である、とあとがきにある。とりわけ「祖国と敵国の間」は、戦艦大和の特効戦に参加し、敵国の英語による電信傍受という任務を最後まで遂行した日系二世の話であり、極めて印象的であった。アメリカに残った彼の兄弟はアメリカ兵としてヨーロッパ戦線で戦い、赤十字を通して届いた母親の手紙には、「どちらも自分の任務に忠実であれ」とあったという。読みながら私は、アメリカ留学から帰って同じような仕事をしていたという鶴見俊輔を思い出しもした。国家に引き裂かれた人間の苦悩を改めて思わずにはいられなかった。

「戦艦大和ノ最期」は、カタカナ交じりの格調高い文語体で書かれている。非常に読みにくい文体ではあるが、であるがゆえに、凄惨なる戦況、死屍累々の戦場の様子を、多少の距離を持って読み進めることができる。それは、怖がりの私にはむしろふさわしい、読みやすいものとなったのかもしれない。

なるほど、内田樹が言うように、これは日本人が今読むべき本である、と私も思う。これを読んで、どこかの国と戦うべきだとか、戦争に備えるべきだとか、軍備を増強すべきだと本気で言える人がいるのだろうか。平和の尊さ、大事さを思わずにいられるだろうか。貴重な真実を描いた本である。