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「須賀敦子全集 1」須賀敦子 河出文庫
以前、夫が須賀敦子に夢中になっていた。全集に手を出すかどうか、とずっと悩んでいたので、誕生日にずらっとプレゼントした。少しずつ時間をかけて読むんだ、と本棚に並べてあったが、先日の旅行のお供に連れて行くこととなった。行きの新幹線の中で一冊読みきってしまった私が、それを借りて読んだ。
須賀敦子のエッセイの登場人物は大半がイタリア人で、そうじゃなくてもフランス人やエチオピア人などカタカナばっかりだ。それが面倒で、手を出さないでいたのだけれど、旅先で読むと、これが不思議と頭に入ってくる。単なるカタカナの固まりのようだったものが、だんだんに活き活きした人の形を取り出し、笑ったり怒ったりし始める。それが面白かった。
記憶で書くので正確ではないのだけれど、いつだったか林真理子が群ようこのエッセイについて、なんで偉い先生方は、群さんのような何でもない日常を書いたエッセイをもっと評価しないんだろう、と文句を言っていたことを思い出した。気取った高尚なエッセイばかり評価するのはおかしい、と。林さんの頭にあるのは、白洲正子さんや、この須賀敦子さんだろう、とその時私は思った。群さんのエッセイはものすごく身近で、わかりやすくて、私も大好きだ。だけど、たしかに白洲さんや須賀さんには、また違ったすごさがある。気取ってるとか高尚だとか、そういうことじゃないんだよな、と改めて思う。
若い頃からイタリアで過ごし、イタリア人の夫を失った後に帰国して、中年を過ぎてからエッセイを書き始めた須賀敦子。内容は必然的にイタリアでの日々が多い。いろいろな人との出会いや翻訳、書店の仕事。それらを静かな目で見据え、穏やかに受け入れ、咀嚼したうえで見事な日本語に表現している。
ゆっくり時間をかけて読みたいエッセイだ。
2014/8/12