90 丸山正樹 東京創元社
「デフ・ヴォイス」の続編。でも、この本から読み始めても、別に何の問題もない。面白かった。亡くなった山田太一がこの作者を高く評価していたと知って、さすがお目が高いと思った。この作者は、まちがいなくほかの誰もがやっていないことを、丁寧に誠実に追っている。
主人公は、手話通訳士。聾者の日常の補助のほか、犯罪の被疑者である聾者の取り調べや裁判でも手話通訳を行っている。十分な通訳を得られないまま、えん罪や誤解を被る聾者の数は多い。今回は、それに加えて、場面緘黙症の少年も登場する。犯罪の目撃者でもある少年の証言が、どこまで受け入れられるのか。主人公の手話が大きな力を発揮する。
この本を読んだのは、モナコや南仏である。聾者の気持ちがわかるというと傲慢すぎるかもしれないが、我々は、多少なりとも、それに近い環境にあった。音はいくらでも聞こえるというのに、周囲に溢れる会話が、ひとつも理解できないという状況にあったからだ。20代でパリに行ったとき、誰も英語をしゃべってくれないので驚愕したことがある。当時よりはフランス人、あるいはモナコ人は英語を話すようになったと思うが、それでも公用語はフランス語。そして、私はフランス語を一言も話せない。もし、ここで急に大災害が起きたとき、何が起きたのか、どうすればいいか。どんなアナウンスがあったとしても、私にはきっと理解できない。こちらが何らかの困難に陥ったとき、それを訴えても、きっと理解してもらえないだろう。言語における周囲との隔絶。孤独と不安。それが多少なりとも血肉をもって感じられたのは、この環境のおかげである。
障害があるということ。それを自分ごととして想像するのは難しい。だが、何かをとっかかりに、それを共有することが出来たら、そこから新しい世界が広がる。その世界は、何かが欠けている世界というよりは、別の広がりをもった世界なのだと思う。