「本の雑誌スッキリ隊」を頼んでみた1

「本の雑誌スッキリ隊」を頼んでみた1

2021年7月24日

「本の雑誌」を購読して、35年ほどになる。この雑誌は椎名誠が創刊したもので、常に本を読み続けなければ死んでしまう(!)我々夫婦には、読本選びのための良い情報源であった。その「本の雑誌」が令和の元号とともにスッキリ隊を結成、蔵書整理にお困りの方のお助けのため東奔西走してくれているというではないか。

大量の蔵書は、常に我が家の課題であった。転勤族なので、数年に一回、全国規模で動かねばならない。引っ越し屋が下見に来て、ずらっと並んだ本棚や、そこにぎゅうぎゅうに押し込まれ、入り切らずに積み上げられた本を見ては「・・・・多いですね」と絶望的な顔をしてダンボールの数を見積もるのを、何度見てきたことか。引っ越しは、ほぼ、本をダンボールに詰める作業に費やされ、本さえ終われば、もう完了したも同然であった。

処分を試みたこともある。まだ上の子が一歳くらいの頃に、古本屋さんを呼んで、段ボール六箱ほどを持っていってもらったことがある。いくらだったか今ではよく思い出せないが、おそらく600円ほどだったか、とにかく、あっけにとられるほどの安値で買い取られたのは覚えいてる。めんどくさそうに、ほとんど迷惑だという顔つきで持っていかれた本たちのことを思うと、以後、売り払うことにためらいがあったのは間違いない。その古本屋さんからは、本への愛が感じられなかった。

とはいえ、引っ越しごとに広さの変わる社宅住まいで、大量の蔵書を運び、置くことは大きな負担であった。子どもたちが家を出る前は、子ども部屋にも本棚を置かせてもらったりして嫌がられていた。何度も処分については夫婦で話し合ったものだが、会談は決裂し、結論は持ち越されるのが常であった。

我々夫婦は、どちらも大量に本を読むことは同じであるが、読書傾向は微妙に異なっている。重なる部分で読本の融通が行われるし、自分では決して選ばないジャンルの本との出会いもあるので、それは楽しいことではあるのだが、本の処分の件になると、互いに相手の本が多すぎると主張して、両者一歩も譲らない。

私は、コミック本を中心に残したい。というのも、一般書は大概の場合、図書館に行けば手に入る。が、コミック本は回転が早く、どんどん市場から失われ、図書館にも置かれないため、一度手放すと二度と読めない危険性が高いからだ。

一方、夫に言わせると、コミック本は場所ばかり取って内容が薄い。それに、蔵書は、読み返したいかどうかではなく、持っていたいかどうか、で決めるものである。それに、考えもご覧よ。老後に、すらっとすべての蔵書の背表紙を並べて、それを眺めて過ごすのって天国じゃないか、と。

・・・・それは、私もわかる。本棚をずらりと並べて、すべての蔵書がどの本がどこにあるかを把握できる状態。想像しただけで、うっとりする。なんと言っても、現状は、「〇〇って本、うちにあったよね?」「あると思うけど、どっか奥の方にある、見つからない」というやり取りの果に、結局、本当は家にあるのに図書館で借りてくる、ということがままあるのだ。全蔵書を重ねることなく並べ、読みたい本がいつでも見つけられる老後。ああ、夢だわ。でも、どれだけの資力があれば、それが実現できるだろうか。我々には、無理な話である。

・・・というわけで、ずっと蔵書処分問題は持ち越しとなってきた。が、そうも言っていられない事態が、じわじわと忍び寄ってきたのである。

二年前、我々は北関東の地方都市に引越してきた。子どもたちがふたりとも家を離れ、新婚以来の夫婦二人だけの引越しである。引越しにすっかり慣れきっている我々は、今までは2日もあれば、家の中は片付いていたものだ。ましてや夫婦二人だけ。あっという間かと思いきや、なんと一週間以上、もたもたと荷物と取っ組み合い、片付いたあとは疲労しきって倒れ果てていた。そう、「老化」という大いなる敵が、いつの間にか忍び寄っていたのである。

この事態に気づいた我々は、次の引っ越しまでにはなんとかせねばならない、という喫緊の課題に気づいてしまい、頭を抱えていた。そこへ登場したのが、「本の雑誌スッキリ隊」だったのである!

2へ続く→

2020/3/2