いのちの車窓から

2021年7月24日

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「いのちの車窓から」星野源 KADOKAWA

 

というわけで、昨日に引き続き、これも雑誌連載をまとめた単行本である。掲載雑誌は「ダ・ヴィンチ」。例によって、半分程度はオンタイムで読んでいる。けれど、たぶん、ちょっと手を加えたり、描き下ろしが加わってもいるのだろう。おもったよりも新鮮に読めた。
 
源ちゃんは、内村が「なんでもできるね」とテレビで言っていたけれど、本当に、芝居もやるし、歌も楽器もダンスもやるし、ラジオも文筆もたいしたものである。そして、そのどれに対しても、謙虚、かつ楽しそうだ。
 
こんなに忙しくて大変なのにラジオの深夜番組をやるのは、十代のころ、ラジオに助けられたからだと書いてあって、その気持はすごくわかった。私も十代の頃、ラジオにはものすごく助けられた、世界中に味方がいなくて一人ぼっちな気がした時に、ラジオはいつも助けてくれた。静かな夜更けのラジオの声は、心をすくい上げて、笑わせてくれた。源ちゃんが、その気持を今も忘れていないことが、この本からも伝わってくる。
 
印象的だったのは、「人見知り」という章である。
 
 ある日、ラジオ番組のゲストに出たとき「人見知りなんです」と自分のことを説明していることに、ふと恥ずかしさを覚えた。それがさも病気かのように、どうしようもないことのように語っている自分に少し苛立ちを感じた。
 それまで、相手に好かれたい、嫌われたくないという想いが強すぎて、コミュニケーションを取ることを放棄していた。そこで人間関係を学び、成長する努力を怠っていた。
 それを相手に「人見知りで」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気をつかってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言していることと同じだと思った。
 数年前から、人見知りだと思うことをやめた。心の扉は、常に鍵を開けておくようにした。好きな人には好きだと伝えるようにした。ウザがられても、嫌われても、その人のことが好きなら、そう思うことをやめないようにした。
              (引用は「いのちの車窓から」星野源 より)
 
いい文章であり、いい覚悟である。私も自分を人見知りだと公言する人間であったが、実は全然そんなことないじゃないかと随分あとになってから気がついた。ただ単に、自分から人を知ろうと努力したり、分かってもらおうとすることを怠けていただけであり、傷つくことから逃げていただけだと気がついた。本当は、人が好き。ただ単に、そのことに気がついてから、相当楽になった。人を怖がることもなくなった。年をとって図々しくなっただけかもしれないが、それならそれで年の功というものである。源ちゃんは若いうちに気がつけて良かったね、としみじみと思う。
 
年末年始に「逃げるは恥だが役に立つ」再放送を一気に見返した。あれは、ものすごく深くて面倒なテーマを扱ったドラマなのに、よくぞここまで世間に受け入れられたものだなあ、と隔世の感があるドラマであった。ガッキーがあそこまで可愛かったのが良かったのかな、とも思うが、それとともに、源ちゃんの素晴らしい演技力の賜物でもあることよのう、と改めて思った。

2018/1/4