うつ病九段

うつ病九段

2021年7月24日

56

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間」先崎学 文藝春秋

将棋もしないくせに、棋士の先崎学の最初の著書「一葉の写真ー若き勝負師の青春」以来のファンである。将棋を指す夫に勧められて読んで以来、彼の書くものがずっと好きである。将棋は全然わからんが、彼の文章は一流であると思う。彼は、NHKの将棋番組の解説もやっていたし、「3月のライオン」の監修で名前が知られるようにもなった。映画「聖の青春」では柄本佑が先崎学らしき人物の役を演じていて、おちゃらけた感じも、人柄のよさもちゃんと表現できていて、なかなか良かった。

そういえば、御本人にお会いしたこともある。中野で行われている趣味的な集まりに顔を出されたので、知り合いに紹介してたいただいて、ほんのちょっとだけお話もした。笑顔のかわいい(当時)お兄さんであった。どうやらその頃、中野に住んでいたらしい、だから来たんだなと、この本の記述でわかった。

そんな先ちゃん(彼の愛称)も40過ぎのおじさんとなった。最近見かけないな、と思っていたら、なんと鬱を患っていたという。例の将棋における不正ソフト仕様疑惑事件の後始末や、映画の監修などに関わって、多忙の上に多忙を極めた挙げ句、ある日がっくりと落ち込んで、うつ病と診断された。なんと先ちゃんのお兄さんは精神科の医師なのである。このままでは危ないと兄と妻が手を組んで、早々に慶応病院に入院させた。そこからの闘病生活、一年間。辛かったよなあ、としみじみ思う。

「うつは必ず治ります」とお兄さんに何度もきっぱりと断言してもらったのは、心強かったことだろうと思う。それでも本人はもとより、家族もどんなに辛かったことだろう。あんなに前向きでみんなに好かれている先ちゃんが、みんなに忘れられている、みんなに嫌われている、なんて妄想にかられてしまうんだもの、ひどかったよなあ。でも、どん底でも将棋を打ちたいとだけは思い続けた、それがすごい。あんなに集中力を要するものを、すべてを放り出したい病状の中で、片時も捨てなかった彼に感心する。

「みんな先崎学が好きなのよ」と言われて涙するシーンがある。だよね、先崎学を、みんな好きだろう、と思う。いいやつだもの。試合に出られなかったときに、妻がいきなり泣いてしまったエピソードにも胸うたれる。「先崎学が将棋を打てないなんて。」と妻は泣くのである。みんなに愛情に支えられて、先崎学は少しずつ、よくなっていく。その過程になんとも勇気づけられる。うつはかならず治る、というお兄さんの言葉が現実となっていく。

先崎学九段は、この本をかきあげてから、戦線に復帰した。今のところ、一勝二敗だそうだ。まあ、早々勝ち上がるというわけにも行かないよね。ゆっくり行かなくちゃ。

それにしても、将棋を世間に知らしめ、広めたいとずっと願ってそのために尽力していた先ちゃんなのに、彼の休場中に藤井聡太くんの活躍で、一気に夢がかなっていた、だのにそれをリアルタイムで知ることができなかった、という事実は皮肉である。でも、それも、今までの先ちゃんの努力の上におきた出来事なんだと思う。

先崎学、頑張れ。

2018/8/15