こちらあみ子

こちらあみ子

95 今村夏子 ちくま文庫

今村夏子は、「むらさきのスカートの女」「星の子」の二作を読んだことがある。どちらも風変わりな人が出てきて、その人を全部受け入れて、そのまんま提示して描き出すみたいな物語だった。そして、どちらも少々困惑しながらも、わかる、とか、好き、とかどこかで感じている自分に気が付いた。

あみ子も変わった子である。エネルギーにあふれているが、深いことはよくわからない。好きな子は好き。歌いたければ歌う。やりたいことはやる。困ったときは、考える。そして、できることをする。おお、思えば私はそんな子だったではないか、とふと思う。

子供時代、母に「なぜあなたは一番友達になってほしくないような子とばかり仲良くなるのかしら。」とため息交じりに言われたことを覚えている。どんなに教えられても算数ができない子。「かあちゃんのためならえんやこーら」「まってました、だいとうりょう」みたいなことばかり叫ぶ子、近寄るとなんだか匂う子、ものすごくませている子。変な子ばっかりね、と母に言われて、私は困った、驚いた。私は、そういう子たちと仲良くしたかったし、そういう子たちといるのが楽しかったし、安心できたのだ。今村夏子の本を読んだときに感じた、わかる、とか、好き、という感覚は、その当時のまんまなんだと思う。

人にどう思われるかを予測して、褒められるように、好かれるように、いや、せめて嫌われないように行動するような子が、私は苦手だった。そのまんま、思った通り、やりたいとおりにやっちゃうもんね、と考える前にもうやっっちゃっている。そんな子と遊ぶのが楽しかった。私自身もそういう子だったのかもしれないけれど、それを完遂できるような家庭ではなかった。だから、いつも窮屈だった、不満だった、嫌だった。

この本にはそのほかに二つの短編が収められている。「ピクニック」と「チズさん」だ。どちらも少し変わった人がそのまんま受け入れられる世界と、そうでない世界がまじりあっている。周囲の人たちの優しさに涙が出る。私も、私自身もそのどちら側にもいるんだなあとつくづく思う。私はたぶん、たくさん受け入れてもらったし許されてきたのだろう。だから、私も受け入れたいし、認めたい。そんな風に思う一冊だった。

どうやら映画化されるらしい。あみ子を演じる子役を見てみたい。