これからの哲学入門 未来を捨てて生きよ

これからの哲学入門 未来を捨てて生きよ

2021年5月21日

31 岸見一郎 幻冬舎

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などを読んできた岸見一郎である。これは、コロナ禍を受けて新たに書かれたという。

明けない夜もある、根拠のない楽観は私達を幸せにはしない、と、のっけから現実を突きつける本である。アウシュビッツの収容所では1944年のクリスマスと1945年の新年との間に、いまだかつてないほどの人が死んだという。原因は過酷な労働でも飢餓でも伝染病でもなかった。クリスマスには休暇がでて家に帰れるだろうという希望を持った人たちが、クリスマスに何も起こらなかったので、落胆し、力尽きたのだという。この人生には願っても願いどおりにはならないことがある、という真実を本書は最初に提示する。では、どうすればいいか。「今」だけを生きよう、と著者は提案する。人生は有限であり、明日は何が起きるかわからないのが本来の人生である。幸福に「なる」ことを志向せず、幸福で「ある」ことを考えよう、というのである。

いつ感染するかわからない、という現状においてこの提言は非常に有効かもしれない。私は持病持ちでそれほど長生きできないぞ、という諦念があり、であるからこそ、今を楽しもう、という気持ちを以前から持っている。だからこそ、今、旅行に行きたい、とか、おいしいものを食べたい、とか欲望まみれ、煩悩まみれに生きてしまっているのだが、たしかに「今」を大事にするという意見には賛成である。

今を生きることを基本においた上で、「私」とは、「生きる」とは、「愛する」とは、「働く」とは何か、を各章で追求し、「私たちができること」という終章に行き着く。哲学的な命題であるかのようにも見えるが、ここに書かれているのは割に現実的なことである。最終的に愛国心とは何か、というところから紐解いて、まず個人を大事にしよう、と提言し、「一人の力は大きい」と結んでいる。

まあ確かにそうだよなあ、と思う。書かれていることに異論はない。だが、「嫌われる勇気」を読んだときほどに心が動かないのは何故だろう。詰め込みすぎ?それもあるかもしれない。だが、それ以上に、何か、出来上がった論理だけを見せられているような、教えを垂れられているような、どこか空虚なものが「私には」感じられる。岸見さんは人の悩みに応えること、教えることに一生懸命になりすぎたのだろうか。それとも、現状に対してこの本を書くことを急ぎすぎたのだろうか。わかるにはわかるよ。でも、心の深いところにはあまり響かない。私が傲慢になりすぎた、のかもしらんが。求めすぎなんだろうか。