されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」ぼくの8年間

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」ぼくの8年間

43鈴木大介 講談社

息子から紹介された本。家事力ゼロで、朝起きれない、片づけられない、何かをやっている最中にほかのことに気を取られると、もう続けられない、そんな妻と、脳梗塞になり、高次脳機能障害を抱えた僕の18年間。高次脳機能障害になったっために、初めてわかった妻の状況と苦悩。そして協力し合い、助け合うことで互いの問題を補完し、生活していく方法を見つけていった日々。

これ、読む人によって感想は違うのかなあ。こんなひどい状況、我慢ならん、許せない、という人も多いんだろうなあ。だけど、実は私にはすごくわかってしまったし、全然他人事ではない話であった。

たぶん、私の父はアスペルガーだったのだと思うし、母はADHDなんじゃないかと思う。そして、私のなかにもそれぞれの要素が多分にある。実家にいる時は、家族の誰もがよく忘れ物をしたし、なくなったものを探し回るなんてのは日常茶飯事だった。食器もしょっちゅう割れていたし、買い物に行って目的のものだけ買い忘れて余計なものばかり買ってくるなんてこともよくあった。その中で、私はわりにしっかりした人の立ち位置であった。だが、一歩外に出ると、私はそそっかしく、ケアレスミスもよくする、置き忘れやなくしものの多いうっかり人間であった。基準が違っていたのね、家と外とでは。

この本の中に登場する「お妻様」の様々な困った状況は、ある種極端なものではあるが、実はわかってしまうことばかりである。片づけ物が下手で、物に定位置を決定するのが苦手で、絶対に忘れないと心に刻んだことでも、ちょっとしたことでぱっと忘れてしまったり、同じ間違いを何度も繰り返したりする私である。それでもずいぶんと克服したつもりではあったんだが、いまだに時として人に迷惑をかけることがある。本当に申し訳ない。申し訳ないんだが、それを私の根性と努力だけで治せるかというと、きっとまた同じことをしてしまうだろうとしか思えない。逃げてるんじゃないのよ、そういう能力が欠けている、とつくづく思う。

たとえば私にウサイン・ボルトみたいに速く走れと言われても無理なように、羽生結弦くんのように氷上で華麗にジャンプしろと言われても無理なように、どうしてもできないことがある。それって、開き直りか?逃げか?と叱責されるかもしれないけれど、頑張ればできることを、なぜ頑張らないんだ、と言われると、頑張ったってできないこともあるんだよ、誰にだってあるでしょう?と言いたくなる。

ということに、この本の作者も、自分の脳が壊れたことで、ようやく気が付く。実感として、自分自身ができなくなって、初めてわかるのだ。たとえば、どんなに探し物をしても、目の前にあるものに気が付けないこと。でも、突然、視点を変えたとたんに、それが魔法のように目の前に現れる感覚。目に入っていても、見えない、ということがある、と書いてあったのだが、おお、わかるわかる、と思う私である。慌てれば慌てるほど、見つからないのよね。

お妻様は、大人の発達障害ばりばりで、作者に迷惑をかけるのだけれど、実は一方でものすごく彼を支えているし、真摯でまっすぐな人だ。彼もそれを大事に思い、失いたくないと願っている。だから、分かり合おうとする、工夫する。

人間、ダメなところはいくらでもあるけれど、助け合えば何とかなることも多いよね、と思う。大事なのは否定しないこと、受容して、方法を見つけていくこと。

そういえば、この人の本、「脳が壊れた」を私は2016年に読んでいたのでした。その時は夫に勧められたのだったなあ。