しわ、恐るるに足らず 愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン

しわ、恐るるに足らず 愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン

2021年7月24日

「愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン」ヤコブ・フォシェツル監修

新聞を読んでいた夫が私の名を呼び、「これ、見てごらん」と新聞を指差しました。小さな子どもたちに帽子を取られそうになって、目をつぶってるリンドグレーンの顔写真が、載っていました。あまりにも魅力的な写真。

「おかあちゃんに、クリスマスプレゼントに買ってあげようか?7200円だけど。わしが、前にランサムの同じくらいの値段の同じくらいの厚さの本を買おうとした時に、『置く場所が』と文句言われてあきらめたけど。ホントは欲しかったんだけど。」

・・・。そこで、そんな皮肉をいわれるか。確かに、私は反対しましたよ。だって、もう本を置く場所が無いんだもの。高すぎるんだもの。でもでも。いいよ、そんな言い方するんなら、あきらめるから。いらないもん。

数日後、アマゾンで届きましたよ、ええ。夫よ、ありがとう!どんなブランドバッグより、どんなきらきらのジュエリーより、私が一番嬉しいプレゼントは、これです。しばらく皮肉、いわれそうだけどね。いいんだ、もう。

リンドグレーンは、私の心の支えです。小さい時に、長靴下のピッピに出会ってから、彼女は、いつも私の傍にいました。ひとりぼっちで、でも、猿のニルソン氏と馬と一緒に、ごたごた荘で元気に明るくのびのびと暮らしてるピッピが、どんなときでも、私を励ましてくれました。五年ほど前、リンドグレーンがなくなったとき、私を知る友達の何人かが、まるで私の実の母が亡くなったかのように「大丈夫?」「気を落とさないで」とお悔やみのメールをくれたのを思い出します。

大学を卒業して、私はスウェーデンに飛びました。リンドグレーンに会いたかったんです。今思えば、東洋から、いきなり見も知らぬ女の子が訪ねて行っても会えるはずがないってわかりそうなものですが。仕事場に訪ねたら、リンドグレーンは、お留守でした。夏の間は、所有している島で過ごされるんだそうです。秘書の方(この本にも出てくるシャスティン・クヴィントさんだと思います)が、部屋の中に入れてくださって、私の話を聞いてくれました。この部屋で、リンドグレーンは、本を書いている、ここで彼女は過ごしている。それだけでも、満足な気がしました。

中学生のとき、私はリンドグレーンに手紙を書いて、お返事を貰っています。タイプ書きのカードに、きちんとサインがペンで記された物です。それは、今でも私の最高の宝物。でも、この本を読んで、リンドグレーンが、毎日届く世界中の子供たちからの手紙ひとつひとつの返事を書こうとして、どれだけ大変だったか、そして75歳の時に、ついにそれをあきらめたことを知りました。私も、彼女を悩ませた一人だったのかと思うと、申し訳ない気持ちにもなります。

ずうっと同じタイプで執筆されていたそうです。写真に残った活字は、確かに私の貰ったカードの字体と同じ。なんだか、胸がぎゅっとする思いでした。

リンドグレーンは、18歳で未婚の母になりました。たった一人で子どもを生み、コペンハーゲンの養母に子供を預けて、ひとり、必死に働いては、暇とお金を子どもに会いに行くことにつぎ込んでいました。何があったのでしょう。相手の男性は、49歳で、彼女に結婚を申し込んだのに、断られたそうです。息子のラッセは、彼が亡くなった時に遺産を受け取っていますから、親子関係は認められたものだったはずです。

ラッセが三歳になる頃、リンドグレーンはやっと彼を引き取ることが出来ました。それはとても幸せなことだったのです。子ども時代を、伸び伸びと楽しく田舎の自然の中で、兄弟や友達や家族の愛に支えられ、遊びに遊んで楽しく過ごしていた彼女は、12歳のとき、突然、遊ぶ気持が消えうせたのに気づいたそうです。それから、18歳まで、彼女は憂いの時を過ごします。何があったかは、わかりません。でも、ラッセを得て、彼女は再び、子どもと過ごす喜び、遊ぶ楽しさを手に入れ、そして、二度と失わなかったのです。

このアルバムを見ていると、歳をとるなんて、しわが増えることなんて、恐るるにたらず、と思えてきます。若いころの彼女の顔は、確かに透き通ってきれいだけれど、憂鬱そうな表情、うつろな目です。年を経るごとに、瞳は輝き、面白がり、いたずらっぽい表情を持ち、そしてまた、強い意思と理知を持った顔立ちになって行きます。晩年のしわに埋もれた、でも、本当に生きる喜びと楽しさに溢れた顔の美しいことと言ったら。亡くなる直前の誕生日には、「地上の平和と、かっこいい服がほしい」といっていたんですって。ああ、こんなステキな年の取りかたをしたい!!

子どもには、安心と自由が必要です、とリンドグレーンは言っていたそうです。安心と、自由。そうです。私も、子どもを育ててきて、結局、見つけたのは、それでした。子どもは、残酷だったり、いい加減だったりもします。でも、大人が愛を注いで、安心と自由を守ってあげさえすれば、きっとまっすぐ伸びていくのです。リンドグレーンが、そう言っていたと知って、私は胸が熱くなりました。たくさんの作品の中で、彼女はずっとそれを言い続けてきて、私は、長い時間をかけて、それを受け取ったのだな、と思いました。

これを読んでいると、次々といろんな思いが溢れてきます。子ども時代の自分を思い出します。リンドグレーンを追いながら、私は自分を追うのです。

彼女の作品には、ひとりでも強く元気に生きていって、暖かい大人に出会う、というものがたくさんあります。それは、もしかしたら、小さなラッセを人の手に預けて働かなければならなかった過去の思いがこめられているのかもしれません。私は、両親も、兄弟もいたけれど、一人ぼっちだと思うことも多々ありました。そんなとき、「私のこと、心配しないで!私はちゃんとやってるから」というピッピが、どんなに私を励ましてくれたか、忘れられません。安心と自由を、私はピッピから受け取ったのです。

いつも何かを面白がり、楽しいいたずらを思い付き、子どもの心を忘れなかったリンドグレーン。写真は、嬉しそうだったり、楽しそうだったり、本当に茶目っ気たっぷりです。権威や富や地位や名誉ではなく、子ども達との楽しい時間が一番好きで、一番大事だった彼女のような生き方。私みたいなちっぽけなおばさんも、そんなふうにこれから生きてみたいと思います。

あなたがいてくれて、よかった。

2007/12/20