ちびくろさんぼ

ちびくろさんぼ

2021年7月24日

「ちびくろさんぼ」ヘレン・バンナーマン

久しぶりに二年生のクラスに行きました。かわいいなあ。本の表紙を見ただけで、大騒ぎしてくれます。「おかあさんのなは まんぼ、おとうさんのなは、じゃんぼ」だけで、もう、大喜び。顔の表情筋を動かすのがもったいないみたいな高学年よりずっと楽しいです。

子どものころ、私はこの本が大好きでした。トラがぐるぐる木の根元を回って、溶けて、バターになる。それでこんがり焼いたホットケーキのおいしいこと・・。これほど魅力的なシーンはないんじゃないでしょうか。食の細い子だった私が、ホットケーキだけは喜んで食べました。この本のおかげです。

ですが、読み返すと、それほど、トラがバターになる場面のインパクトが強くはないのです。何度も読んで、知っているからなのか?夫は「あんたの感性が年取ったんだよ」なんて冷たい言い方をします。そうでしょうか。ホットケーキが、それほどのご馳走ではない時代だからでしょうか。あの強烈な感覚は、どこへ?

それでも、子供たちは大喜びして、聞いてくれました。バターができたら、やっぱり笑ったし、ホットケーキをさんぼが169枚食べたら「すげー」と思いっきり叫んでくれました。

ところで、「ちびくろさんぼ」は一時期、差別的であるという糾弾を受け、絶版になっていました。その事は知っています。知ってはいますが、この本が子どもたちに差別的感情を植えつけるような要素を私は感じないのです。そして、とても好きだったあの楽しい本を読んでやりたい、という単純な理由で、あっさりと読み聞かせたのでした。

パルティオゼットで、その話を書きましたが、批判的な意見はありませんでした。むしろ、そうやって読んでやってよかったね、という意見が多かったです。ですが、自分なら読み聞かせを避けてしまうかもしれない、あるいは、何かしらの言葉を添えてから読むであろうという率直な言葉もありました。それは、とても誠実で正直な意見だと思います。

それを契機に、私もいろいろ考えました。真っ黒のさんぼは、赤い上着も青いズボンもむらさきの靴も緑の傘も鮮やかに良く映えてとてもかわいいです。黒いことが、きれいであると感じられます。サンボは小さい子ですから、「ちび」ですし、黒いから「くろ」ですが、その表現には、否定的なニュアンスが常にあるものなのでしょうか。小さくて黒くて、なんてキュートな子なんだろう、と感じる私の感性に、偏見があるのでしょうか。

ちびくろさんぼが糾弾された理由は、「ちびくろ」という言葉が差別的であること、「さんぼ」がアメリカで黒人を侮蔑的に呼ぶ名称であること、分厚い唇と醜い顔が強調的に描かれていること、そして、ホットケーキをたくさん食べるのが、大食らいの黒人をイメージさせること、などだったようにおぼろげに記憶しています。

気になったので、少し調べてみました。そうしたら、実に意外な事実がたくさん出てきました。「ちびくろさんぼ」のキーワードを検索するだけで、誰にでも調べられることですので、ここで詳細を書くのは避けます。ですが、一番驚いたのは、定番とされていた岩波書店の「ちびくろさんぼ」が絶版になったのは、差別への糾弾そのものが原因ではなく、著作権の問題によるものだったという事実です。それが、「ちびくろさんぼ」排除の契機となってしまったのです。

ヘレン・バンナーマンは長くインドに滞在し、そこでこの物語を書きました。さんぼは、ですから、アフリカ系黒人ではなく、インド系であると思われます。インドのシェルパ族には「サンボ」「マンボ」「ジャンボ」がありふれた名前としてあるそうです。アメリカの侮蔑的な言葉の語源がどこにあるのかはともかく、インドにおけるサンボという名前に、差別的ニュアンスはありそうにもないのです。

また、復刻版の絵のさんぼは、とてもキュートでかわいらしい男の子です。醜くなんてありませんし、物語の登場人物がたくさんおいしそうなものを食べるのは、よくあることです。

児童文学の古典といわれるものの中には、差別的な表現がたくさん出てきます。ベルヌの「十五少年漂流記」もそうですし、「ドリトル先生」もかなりあぶないです。アーサー・ランサムの「ツバメ号」のシリーズだって、とんでもない言葉が頻発しますし、アジアへの偏見も散見されます。児童書だって、歴史のくびきから逃れることはできない。その時代の価値観が反映されるのは当たり前のことであり、それを知った上で、私たちは古典というものと向き合っていくのではないでしょうか。もし、差別的な表現を含む文学をすべて児童書の棚から捨て去ったら、どんなにすかすかの書棚が出来上がることでしょう。

問題がある本を排除することで、最初から問題がなかったふりをする、というやり方にも違和感を感じます。その問題に気づいて、そこから出発する、という方法だってあるでしょう。なかったことにして、逃げるのが、本当に正しいことなのでしょうか。

「ちびくろさんぼ」は子ども時代だからこそ楽しめる要素を多分に含んだ名作だと私は思います。子ども時代に出会い、楽しんだという思い出を持った人が、長じて、差別という問題にぶつかったとき、子どものころ、あんなに楽しかったあの物語にも、こういう問題が論じられていたのだ、とそこから出発したっていい。オトナになって初めてこの物語に出会うのと、まったく違う視点で物語を見ることができるかも知れない、と私は思います。

この問題をここに書くことも、少し躊躇した私です。でも、書いちゃった・・。地雷を撒いてしまったでしょうか。

2007/5/15