もう牛を食べても安心か

もう牛を食べても安心か

2021年7月24日

「もう牛を食べても安心か」 福岡伸一 文春新書

皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、干支にちなんで・・というわけでもなかったのですが、しょっぱなは、牛の本でございます。

友人がブログで紹介していた本。彼女の本選びは、学生時代からなかなか鋭いものがあったので、普段はあまり手が出ない分野だけれど、読んでみた。超文系で、科学的な本が苦手な私にもわかりやすい明快な美しい文章だった。

1980年から1996年までの間にイギリス渡航歴のある我々夫婦は、現在、献血に協力が出来ない。当初否定された血液を介しての狂牛病の感染がイギリスで事例発生して、我々の血液は限りなく灰色になってしまったからだ。

ところで、狂牛病にかかった牛でも、特定危険部位を除去すれば、食べても大丈夫、という報道を、私は何度も目にし、そういうものだと「常識的に」思っていた。けれど、ちょっと考えればわかることだが、血液は、あらゆる組織に循環している。血液を介しての感染を恐れて献血を禁止しておきながら、特定危険部位を除去すれば、食べても大丈夫、などという論理は、明らかに矛盾している。

こうした当たり前の論理は、この本から得たわずかなる一部に過ぎない。狂牛病は人災であり、人為と不作為によって蔓延した物だということが、読み進めるに連れて、明白になっていく。けれど、ここに書かれているのは、単なる狂牛病の検証ではない。人間が生きているとはどういうことか、環境と人間のかかわりとはどういうものか、そして、生命とは何か、という問題へ、テーマは深まっていく。

環境の世紀といわれる今、私たちが再考せねばならないことは何か。
第一に必要なのは、環境が人間と対峙する操作対象ではなく、むしろ環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡の中にあるという視点である。(中略)炭素でも酸素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかに言って一定であり、それが一定の速度で流れ行く中で作られる緩い‘結び目‘がそれぞれの生命体である。流れはめぐりめぐってまた私たちに戻ってくる。
そこで第二に必要となるのは、できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことが本当の意味で環境を考えるーすなわち私たち自身の生命を大切にするーことに繋がるという認識である。
(「もう牛を食べても安心か」福岡伸一 より引用)

この本の中で再評価されているシェーンハイマーの動的平衡の理論は、とても魅力的で、至極私を納得させるものでもあった。私たちは、結局、この環境の中の一部であって、すべては繋がりあい、係わり合い、流れていく。どこかにほころびが生じれば、それはすべてに影響していくものなのだ。私たちは、この流れの遠い先の先まで、見通しながら、澱みが後々に悪影響を及ぼさないかどうかを深く考えながら、様々な選択をしていかねばならないのだと思った。

2009/1/3