わりなき恋

わりなき恋

2021年9月11日

71 岸恵子 幻冬舎

すっかりブログ更新をサボってしまった。10日以上書かなかったことって、ここ数年なかったんじゃないかしら。

頼りにしていた県立図書館が休館になって、でも市立は頑張ってくれるよね、と思っていたら、そっちも数日後に休館になってしまった。しばらく開く見通しが立たないので、読む本不足が怖いなあ・・・と思っていたら、全然読まなくなってしまった。何やってたんだろう、私。

さて、岸恵子の「わりなき恋」である。自伝でこの方のかっこよさに感心した。その中でちらっと触れられていた老いらくの恋についての小説がこれである。であるのなら、読んでみよう、と思ったわけだ。

60代終わりから70代半ばまでの恋の話なんてなかなかない。先日、「100分で名著」でボーボワールの「老い」を取り上げていて、その中で上野千鶴子さんが、「これからは老人の恋の小説だって出てきますよ。」と力強く断言されていたが、おお、ここにあったじゃないの。

ただ、この小説は、ごくふつうの老人の恋物語ではない。何しろ出会いはファーストクラスの隣接座席だもの。機内で血の滴るようなステーキを食べて、トリュフチョコをパリに着いてから食べたいから用意してちょうだい、なんて言ってるのを隣の素敵な紳士が聞いていて、ちょっと話が弾んだところからだったりするのだもの。セレブでリッチで知的でクールな恋。おしゃれよねえ。

おしゃれとは言っても、老いは老いである。いざ、抱き合ってもうまく行かなかったり、坐骨神経痛に苦しんだり、婦人科でホルモン療法も受けねばならなかったりする。世界中を飛び回る互いが出会う場所は時にパリだったりプラハだったり蘇州だったり忙しい。相手の男性には家庭があるうえに、それ以外にも女性の影がちらほらしたりもする。そこを指摘されると必死な釈明があり、全てを超越してあなたが好きだと言われるわけなんだが。なんだかなあ、とだんだん鼻白んでしまう。

美しい恋には終りが来る。東日本大震災がその大いなるきっかけにはなるのだが。自意識の高い者同士が陶酔し合いながら、まだ愛していると思い合いながら別れる結末に「はー、そうですか、お疲れさん」と思ってしまう。まあ、恋ってそういうものかなあ。きれいなところしか見ないようになっちゃうのか。

前述の「老い」の番組内で、上野千鶴子が言っていた印象的な言葉。「差別にも色々ありますが、自分で自分を差別する自己差別ほどきついものはありません。老人を差別する人も、必ず老います。そのときに待っているのは自己差別です。」

私自身は、すでに老いの中に間違いなく足を突っ込んでいる。そして、老いの付きつける現実と日々戦っている。が、その一方で、年を取るのも悪いことばかりではない、と思っている。いままでの経験は、たしかに自分の栄養となっていると思えるし、自分の今までやってきた恥ずかしいことも、みっともないことも、全て受け入れる開き直りと諦めは、むしろ清々しいもののように思える。

老人の恋がみっともないとは思わない。その年令だからこそ、見えるものもある、わかり合えるものもある。だけど、あまりにかっこいい部分だけをすくい取って見せられても、そうは行かないよなあ、とは思う。「私はいつでも素敵なの」という自意識は、どこか寂しい。いや、作者はそんなおつもりはきっと無いのだろうけれどあまりに私と比べてキラキラしいお姿に、ついついそんなふうに思ってしまった、だけかもしれない。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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