イスタンブールで青に溺れる

イスタンブールで青に溺れる

161 横道誠 文芸春秋

横道誠は京都府立大学の准教授、専門は当事者研究とドイツ文学である。彼自身が40代になってから自閉症スペクトラム症(ASD)と注意欠陥・多動症(ADHD)を診断されている。発達性協調運動症(DCD)の傾向もある。発達障害の診断を受けてから、彼は当事者研究(自分の疾患や障害を仲間と共同研究することで、生きづらさを軽減させる精神療法)に取り組んだ。それにより、自分に何が起こっていたのかを理解できるようになっていったという。

本書は、そんな彼が世界中をどんなふうに旅してきたかの紀行文である。紀行文でありながら、その時々の彼の内面に何が起き、どんなことを感じ、考えていたかを、様々な文学作品の引用も用いながら、かなりデイープに描きだした、当事者研究紀行ともいうべき本である。

この本で描かれたのはウイーン、プラハ、ベルリン、マイエンフェルト、モスクワ、サンクトペテルブルク、ダッハウ、イスタンブール、カイロ、カサブランカ、アテネ、ローマ、フィレンツエ、マドリッド、グラナダ、パリ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、バンコク、上海、台北、ソウル、そして沖縄である。その土地を描くというよりは、その土地にいた時の彼自身の内面を描いたというべきものがほとんどだが、それがユニークで深く体験的でもある、不思議な紀行文であった。

発達障害の診断を受けたことなどないが、調べればきっと何かある、おそらくADHD的要素は多分にあると思われる私である。子ども時代、みんなと同じことをするが苦痛だったことはよく覚えている。それに、父は間違いなくASDだったと思うし。だから、というわけではないけれど、この本を読んで驚くというよりは、ああわかるわかる、と思う部分がたくさんあった。思考が暴走したり、過集中になったり、言葉にこだわりがあったり、その土地からいろいろなものを連想して、これまで読んだ本の文章が頭の中にあふれたり。そういうことは、私のなかのアルアルでもあった。

知らない土地で、言葉が通じないことで、むしろ日本国内において言葉がわかるのに人とうまくコミュニケーションが取れないことが、海外では誰にでも顕在化し、健常者も同じ状況に陥るという発見は興味深いものだった。発達障害の生きづらさとは、例えば一例としてこのようなものである、と受け止められる。転勤族の子だった私は、日本国内においてさえ違う文化の場所にいきなり置かれて暗黙の了解の理解できない、コミュニケーションに問題のある状態を何度も味わったものだ。それに慣れてしまったとさえいえる。なるほど、だからこそ海外で隔絶され、解放される感覚が強いのかもしれない。

本書には「発達障碍者の世界周航記」というサブタイトルが付いている。発達障害を理解する上でも貴重な本であると思うが、それを差し置いても、文学的にも楽しめる、知的な示唆に富んだ紀行文であった。