エデュケーション 大学は私の人生を変えた

エデュケーション 大学は私の人生を変えた

2021年12月2日

108 タラ・ウェストーバー 早川書房

バラク・オバマが選ぶお気に入りの29冊、ミシェル・オバマが勧める九冊、ビル・ゲイツが選ぶホリデーリーディングリストなどに選出され、アメリカでベストセラーになったらしい。私は新聞書評で知った。

作者はアイダホ州のモルモン教サバイバリストの両親のもとに七人兄弟の末っ子として生まれた。両親は医療、科学を否定し、民間療法を信奉し、学校教育を拒絶し、陰謀史観に基づく思想をもって政府を敵と認定していた。作者は、出生届すら七歳まで提出されていなかった。

すべては神の思し召しとする両親の教えのもと、子供時代から楽しく遊ぶことなどはなく、廃材置き場でスクラップの仕分けなどをして働かされていた。本来、ヘルメットや手袋が必要な仕事を、神がお守りくださるからと防具なしでさせられ、けがをすれば神の思し召し、たとえ骨が折れようと指がちぎれようと病院には連れていかれず、薬草と祈りで治療され、治れば神のご威光とされた。時に神の啓示を受ける父は、世界の崩壊に向けて様々な準備を行い、食糧を備蓄し、シェルターを作ろうとした。精神的な不調のため動くこともできなくなる父が突然、家族で夜のドライブに出て大事故を起こすことも度々あり、母や兄が大けがをすることがあったりもした。そんな中、作者は兄の熾烈な暴力にさらされ、極限まで追い詰められた。独学で学んでいた彼女は大学資格試験に合格、2004年、ブリガム・ヤング大学に入学する。ケンブリッジ奨学金を授与され、ケンブリッジ大学トリニティカレッジにて哲学で修士号を取得、ハーバード大学に客員研究員として在籍後ケンブリッジに戻り、2014年、歴史学で博士号を取得。

彼女は、大学で学ぶうちに自分の両親を客観的に見ることができるようになる。そして、父は双極性障害による妄想に支配されている過ぎず、母はその父に共依存していると理解する。だが、その一方で、家族への愛情、家族を失いたくないという気持ちに引き裂かれ、何度も家族と話し合おうとしたり、説得しようとしたり、自分が間違っていたと家に戻ろうという試みを繰り返す。そのたびに、「お前は悪魔に取りつかれている。だから、神のもとに取り戻さねばならない」と両親に逆に説得される。また、兄の暴力や父の家族への熾烈な支配も、誤解や勘違いや愛情からである、という読み替えを彼女自身が無意識に行ってしまったり、気が付くと記憶を変節させたりし続ける。日記に「本当のこと」を書けるようになるのは、かなりの時がたってからである。家族との和解を試みるたびに学業は頓挫し、博士号が遠く離れていく。現代医療を拒絶し、悪魔の所業であると刷り込まれていた彼女がワクチン接種を受けたり、痛み止めを飲んで歯痛から逃れることは大変なハードルであった。何度も繰り返されるカウンセリングや新しい友人たちの助けが、とうとう彼女をはっきりと目覚めさせ、この本を書くに至る。

さて。この本は、私には身につまされるものがあった。私の両親は敬虔なクリスチャンであり、常に神は見たもうている、と教えられて育ってきた。そして、父は、おそらくASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)であった。父の言うことは、時に世間のやり方とかけ離れたり、人を唖然とさせるようなものであっても、言いなりにならねばならない事態にはたびたび出会ったものだし、それに対しては母ひたすら従順であった。父の支配は熾烈を極め、のちに私は反抗するに至ったが、暴力を伴う抑圧もあった。そこから脱し、言いたいことを言ってもいい、本当に思ったことを口に出してもよく、それを真正面から聞いてくれる人がーただの学校の友人だけでなく、大人や権威ある人でさえもーいる、ということを本当に知ったのは、大学に入ってからだと思う。そういう意味で、作者ほど激烈な環境ではないにしろ、私には身に覚えがあるような出来事が、この本には書かれていた。事実を捻じ曲げて解釈することや、本当のことを日記に書けない、という感覚は、明確にわかる。ありのままの出来事を文字に起こして確認することは、恐ろしいことであったのだ。

その家庭にしか通用しないルールや、それを外に出してはいけないという暗黙のルール、世間は敵であるという感覚。それでいて、外からは、仲の良い、穏やかなすばらしい家庭であると見せかけねばならない抑圧。そういったものが、どれだけ私を支配していたのかを、私は、大人になってからだんだんに理解していった。それがわかるたびに、私は自由になっていった。

作者のタラは、私よりもはるかに強烈に両親から洗脳を受けていた結果、そのくびきから逃れるのに長い長い時間と他者からの手助けを必要とした。わかっていても、家族が欲しい、家族に認められたい、家族に愛されたい、という本能的な渇望が、すべてを捨てて自分を家族のもとに駆り立てる。そういう衝動を捨て去るために、恐ろしいほどの時間と労力が費やされた。これは、戦いの歴史の本である。

おそらくオウム真理教において、賢いとされる、科学を学んだ人たちが教祖に熱狂したのも、これと同じような構図があったのだろう。人の心は難しい。理屈だけでは救えないものもある。大事なのは何だろう。たとえば、愛であったり、信頼であったり。単なる知識だけでは、人は幸せに離れないのだ、と痛切に思わずにはいられない本であった。