コンビニ人間

コンビニ人間

2021年7月24日

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「コンビニ人間」村田沙耶香 文藝春秋

 

東京の図書館で予約を入れて、延々と待っていたが、たぶん、あと半年は回ってこないだろうと思われたこの本が、北関東のこの街の図書館では二週間で手に入る。それはそれでありがたいことだなあ。
 
芥川賞を受賞したこの本は、なんともふしぎな作品だった。主人公は人間じゃなくて、コンビニ人間として生まれ変わった人だ。子供の頃、ことりの死体を見て泣きじゃくる同級生たちを前に、「焼鳥にして食べよう」と言ってまわりを引かせた彼女。周りの子達は、その死体を埋めて、その上に生きた植物を引きちぎった花の死体を置いてかわいそうがる。その子たちは、普段、からあげだって焼き鳥だって食べているのに。それが彼女には理解できなかった。
 
大暴れしている子を静かにさせろ、と言われていきなりスコップで殴って静かにさせる。止めろと言われたから、一番早そうな方法を選んだだけで、なぜ非難されるかは、わからない。女性教師がヒステリーを起こして怒りまくった時、皆が謝り、怒るのをやめてと言っても止まらなかったので、走り寄ってスカートとパンツを勢いよく下ろしたら、静かになった。あんなに皆が望んでいたことを実現したのに、なぜ悪いことをしたことになるのか、わからない。味のある食べ物を食べる意味がわからないので、野菜類をただ煮たものをルーティンとして食べる。妹の産んだ赤ん坊が、他の赤ん坊とどこが違う生きものかがわからないが、どうやら他よりも大事にせねばならない存在であるらしいことは理解する。
 
周囲の人間が皆そんな自分が「治る」ことを期待するので、自分は治らねばならないのだろうと思う。けれど、それがどういうことかわからなかった彼女は、コンビニの店員となることで、コンビニ人間として生まれ変わる。そこは、どう振る舞えばいいのかが全て決められ、完璧であることができる唯一の場所だった。コンビニに安住の地を得た彼女は、そこに居続けることを選ぶのだが・・・。
 
普通とはなにか、人間とはどういうものであるのか、どう生きるのが正解か、という問いがこの物語の中にはある。この世に生きにくさを感じている人間にとって、この作品は大いなる共感を呼ぶものだろうし、そちら側の人間から見た普通の人間のグロテスクさというか、訳のわからなさが浮き彫りになってくる。
 
たぶん、私はこちら側の人間なのだろうと思うのだが、読んでいるうちにそちら側の人間であったのではないか、と思えてきたりもする。生きにくさ、訳のわからなさ、居場所のなさなど、いろいろな経験が呼び覚まされて、理解し、共感し、受け入れられるものになっていくのだ。
 
転校経験の多かった私は、集団の中に異物として存在する感覚をとても良く知っている。それを思い出したのかもしれない。
 
ちょっと調べたら、小谷野敦がこの作品を絶賛していると読んで、さもありなんと笑ってしまった。

2018/5/18