サル化する世界

サル化する世界

2021年7月24日

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「サル化する世界」内田樹 文藝春秋

るんちゃんのお父さんの新作。うんうん、なるほど、とか、そうだよね、とか思うところが多かった。この人はやっぱり聡明な人だなあ。

おお、と膝をたたきたくなったのは、次の文章。

 論理的にものを考えるというのは「ある理念がどんな結論をみちびき出すか」については、それがたとえ良識や生活実感と乖離するものであっても、最後まで追い続けて、「この前提からはこう結論せざるを得ない」という命題に体を張ることです。
 ですから、意外に思われるかも知れませんけれども、人間が論理的に思考するために必要なのは実は「勇気」なのです。(中略)
 子どもたちが中等教育で学ぶべきことは、極論すれば、たった一つでいいと思います。それは「人間が知性的であるということはすごく楽しい」ということです。知性的であるということは「飛ぶ」ことなんですから。子どもたちだって、本当は大好きなはずなんです。

結構長いこと生きてきて、やっと気づいたことの一つが、結局、人生に大事なのは「勇気」だという真実だった。安全を求め、争いを避け、やばい現場から逃げ続けるだけでは何も得られない。体を張る勇気、責任を取る勇気。それなしには主体的な人生は送れない。そんな事を考える今日このごろだっただけに、「論理的思考には、勇気が必要である」というこの言質は、ものすごく腑に落ちるものだった。真実を捉えるには、たった一人で思考を深める勇気が必要。だよなー、とつくづく思う。

日本の英語教育の目標は、ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育だ、と平田オリザが看破したことが引用されている。そしてこんな言い方も。

 英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語教育を子どもたちに向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

もうね、全国の母たちは、みんな、こどものお尻を叩くわけです。勉強しろ、しないと困ったことになる、就職できない、貧乏になるよ、みんなから馬鹿にされるよ、と。こういった恐怖と不安を煽る方法は、常に失敗する。それはもう、経験的に誰もが知っているはずのことだ。

私は覚えています。母に「なぜ、宿題しなくちゃならないの」と尋ねたら、「だって大人になって子供に宿題を教えられなかったら困るでしょ。」と母は答えた。(当時、私にとって勉強とは宿題でしかなかったのでね。)

「そうか、お母さんは私に宿題を教えるために子供時代、宿題してたのか、じゃあ、そこでお母さんが宿題をしてなかったら、私も宿題をしなくてもすんだってことだ。私が宿題をしなかったら、私の子供も宿題をしないでいいし、日本中の子どもたちが、一斉に宿題をやらないことにして、誰もできないし教えられもしないから、宿題というものがなくなったら、もう二度と誰も宿題に困らせられることもなくなるのに。」と私は思ったものだ。そこには、根源的な解がなかったからね。困らないために勉強する、というのはそういうことだ、と私は思う。全員がそこから逃げたらいいだけじゃん。そして、実際に子どもたちはみんな逃げたがっている。でも、学問とは、そういうものではないでしょう?

最後に原発について。

 福島であれほどの原発事故が起こったあとも、財界が原発再稼働に躍起になっているさまを見ていると、日本のビジネスマンたちが長期的に日本列島を安全で住みやすい環境として維持することについては特段の関心を持っていないということがよくわかります。廃炉プロセスは百年単位の事業ですし、放射性廃棄物の管理になったらこれは万年単位の事業です。どれほど安定的な統治機能でも引き受けることの難しい事業です。この先、大規模災害があるかも知れないし、戦争が起きるかも知れないし、パンデミックや原発へのテロがあるかも知れないし、人為ミスで原子炉が暴走することがあるかも知れない。そんなリスクを抱え込むことのデメリットと、発電コストを抑えて当期利益を増やすことのメリットは比較するのも愚かですけれど、ビジネスマンたちはそんなことは意に介さず、とりあえず当期の利益を最優先する。先々のリスクについてはまったく考える気がない。それはまた原発事故が起きて日本列島が居住不能になっても、そのときは日本を出て海外で暮せばいいと思っているからです。現にそういう切り替えができる人たちが日本では指導層を形成してるのです。

安倍政権は突然終わるらしい。だからといって世の中が良くなるとは思えないけれど、とりあえず目先のことしか考えられない、サルのような人が、一人は舞台から降りたということだ。これからどうなっていくのだろう。日本は、なぜこんな国になってしまったのだろう。私達のこどもたちは、どんなふうにこの国で生きていくのだろう。と、考え込んでしまう本でもあった。
(引用は全て「サル化する世界」内田樹 より)

2020/9/2