タモリ論

タモリ論

2021年7月24日

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「タモリ論」新潮新書 樋口毅宏

 

作者がこの本を書いたのは、彼の処女作「さらば雑司が谷」にこんな記述があったことがきっかけとなっているそうだ。
 
むかし、いいともにオザケンが出たとき、タモリがこう言ったの。『俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、“左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕はこう思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん』って。あのタモリが言ったんだよ。四半世紀、お昼の生番組の司会を努めて気が狂わない人間が!まともな人ならとっくにノイローゼになってるよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。そんな絶望大王に、『自分にはあそこまで人生を肯定できない』って言わしめたアーティストが他にいる?
 
このエピソードは、後で水道橋博士からタモリに伝えられ、タモリは、ここに書いてあるとおりだけど、この人、なんで知ってたなんだろう、と言ったそうだ。
 
この本はタモリを中心としながら、いわゆるお笑い界のビッグ3やその周辺の人々について語られている。タモリ論と称しながら、たけしやさんまに対する記述が多く、題名と違う、と怒る人も多いらしい。だが、タモリを論ずるためには、残りの二人についての論究は必然であると私も思う。ついでに、最初の方では久米宏とも比較がなされているが、これもまた私には大いに理解できる筋道であった。ちなみに私は初期の(まだベストテンも初めていないころの)久米宏のファンであって、毎週土曜日は彼のラジオ番組を欠かさず聞いていたものだ。
 
もしかしたら、私はこの作者よりもタモリに詳しいかも、と思う。なにしろ、この人より10年ほど年上だからね。まだデビューしたてのキワモノだった頃から私はタモリが気になっていた。日本語版モンティパイソンもテレビファソラシドもオンタイムで見ているし、オールナイトニッポンも眠い目をこすりながら聞いていた。
 
そういえば、先日、『あまちゃん』の音楽を担当した大友良英さんが『いいとも!』に出演して、実はオールナイトニッポンのファンではがきを送っていたという話をしていた。タモリの名曲(?)「ソバヤ」を自分で録音して送って流してもらったということで、タモリもそれを覚えていると笑っていたが、私も覚えていた。その話を聞いている間、まるで同窓会に参加しているような気すらしたものだ。
 
そのタモリの肝の座り方、凄みを様々なエピソードからこの本は紹介している。それとともに、なぜたけしがたけしであり、さんまがさんまであるかも、同時に分析している。その根底には以下の信条が込められている。
 
笑いができる人は、人との会話の間の取り方がうまいということなので、番組の司会はもちろんのこと、俳優もこなせます。また、どんなに悲しい状況でも人のおかしみを見出してしむような、鋭い感性の持ち主なので、人の偽善を見抜いてしまい、ニヒリズムに陥りがちですが、誰よりも人の痛みを理解できます。それに、どんなに苦しい状況でも、「笑い飛ばしてやろう!」とするダイナミズム、客観性、粋な生き方を獲得しています。
 「どうやって人を泣かせようか」と考えてばかりいるいやしい人間とはほど遠い物があります。人間として信用できるというものです。
 
私もこの考え方には全面的に賛成である。人を笑わせることは泣かせることの数倍難しい。笑いは人生のあらゆる要素を無駄にさせない力をもつ。
 
正直いって、この本はタモリという偉大な人物のほんの一部しかを描くことができないでいると思う。だとしても、面白い、と私は思った。タモリという人間はあまりに深く広く底が知れないので、誰もその全貌など書き切ることなどできないだろうから。
 
(引用はすべて「タモリ論」樋口毅宏 より)
 

2013/10/4